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恐れ

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 ※PrawnyさんによるPixabayからの画像です。

恐れには、いろいろあります。
その中でも、最も大きな恐れは、死に対する恐れでしょう。

死と言うと、普通は肉体の死のことですが、肉体的には生きていても、社会的に死んだ状態というのも、肉体の死と同じぐらい、恐れの対象になっています。

他の病気や怪我に対する恐れ、生活や経済に対する恐れ、自然災害や天変地異に対する恐れ、試験や就職に対する恐れ、見知らぬものや見慣れない行為への恐れ、闇に対する恐れ、孤独になる恐れなど、様々な恐れがあります。

しかし、多くの恐れの根底には、先に述べた肉体的死、あるいは社会的死が隠れています。

つまり、私たちが何かを恐れる場合、その先にある、死を連想しているのです。

 ※Free-PhotosさんによるPixabayからの画像です。

逆に考えると、死に対する恐れを克服できれば、あらゆる恐れを克服できるということです。

実際、死を免れることが保証されているならば、どんな事でも耐えられるでしょう。

死ぬことを思えば、これぐらいどうってことない。
死ぬ気になれば、何でもできる。
別に死ぬわけじゃないから、構わないよ。

こんな言葉を、耳にしたことはありますよね。

これらの言葉は、「死」を判断基準にしているのです。

そして、これらの言葉の裏にあるのは、死ぬのであれば絶対に嫌だ、という意味です。

それほど、死は恐れられ、忌み嫌われているのです。

しかし、死が何であるのか、どういう意味があるのかを、知っている人は、ほとんどいないと言えるでしょう。

わからないなりに死についてイメージするのは、自分が消滅することだと思います。

あるいは、消滅はしないまでも、永遠に幽霊になってさまようか、わけのわからない恐ろしい物が潜む世界へ、無防備のまま放り込まれると、考えるのかも知れません。

宗教を通して、天国や地獄のイメージを吹き込まれていると、自分が死後に、どちらへ送られるのかと、恐れおののく日々を送ることになります。

社会的な死の場合、世の中のどこにも、自分の居場所がない、全くの孤独状態でしょう。

それは、生きながら幽霊になったようなものです。

そこには生きている喜びなど、ないように思えます。

 ※TumisuさんによるPixabayからの画像です。

ところで、臨死体験や体外離脱体験をした方で、死後も意識が消えることなく、自分が存在し続けると理解する人は、宗教の違いに関係なく、死を恐れなくなります。

そのことで、生きる意味を考えるようになると、それまでとは生き方が、がらりと変わります。

死を恐れない。
それは、生の意味を知ることでも、あるのです。

それは肉体的な死だけでなく、社会的死についても言えるでしょう。

死を恐れないという人に、死は存在していません。

他の人から死と見えることも、その人にとっては、死ではないのです。

死を恐れる人は、自分の人生を振り返ってみて下さい。

楽しく過ごしていた人、暗い気持ちでいた人、様々でしょうが、自分の人生について、深く考えたことがあるのか、思い返してみて下さい。

もし考えたことがないのであれば、そんな事はむずかしいなどと言わないで、じっくり考えてみて欲しいと思います。

考えたことがあるけれど、まだ答えが出せていないという人も、同じです。

考えるのを途中でやめてしまうのは、考えていないのと同じ意味になります。

何故、死を恐れるのでしょうか。

それは、生の意味を理解せず、ただ流されて生きているからです。

 ※Adrian PelletierさんによるPixabayからの画像です。

自分の意志で人生を生きている人は、死を恐れないと思います。

別に臨死体験や、体外離脱体験をしていなくても、初めから生きるということに、真剣に取り組んでいれば、死を恐れないでしょう。

その人たちにとって大切なのは、死ぬかどうかよりも、自分の生き様なのです。

いきなり、その人たちと同じようになれと言われても、無理でしょう。

それでも、周りに流されるのを止め、人生の主導権を自分で握れば、その人たちの生き方が、理解できるようになると思います。

人生の舵取りを、自分自身の手で行い、自分が思った方へ向かうのです。

途中で難関に遭遇した時は、どうすればその難関を越えられるのかに、頭を悩ませるのは構いません。

でも、難関を越えられなかったらどうしようとか、越えられないかもしれないというような、無駄な不安に力を注ぐのは、やめましょう。

難関を越えるのには、いろんな工夫が必要になりますが、ただ待つということが必要な場合もあります。

思ったような展開にならないと、不安になってしまいがちです。

でも、物事にはタイミングというものがあるのです。
そのタイミングを待つということは、工夫することと同じくらい大切なのです。

それは、船長が潮の流れを読みながら、船を進めるのと同じです。

 ※ArtTowerさんによるPixabayからの画像です。

恐れてタイミングを間違えると、船が転覆することもあるでしょう。

恐れに舵取りを、任せてはいけません。

とにかく恐れないことが大切です。

恐れではなく、自分の判断・決意・責任において、自分の船を操るのです。

荒波に呑み込まれても、自分の手で舵を動かしているうちは、船は転覆しません。

転覆しない以上、あなたの航海は続きます。

行く手を決めるのは、あなたの好奇心です。

何があろうと、そちらへ向かうことが人生であり、それが喜びなのです。