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やりたいこと やらねばならないこと2

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 ※juliusz gronkiewiczさんによるPixabayからの画像です。

やりたいことが、やらねばならないことに変わっている時、その人は誰かの理想という枠に、自分を無理矢理、はめこもうとしています。

その枠は、誰の理想なのでしょうか。

それは、周囲の人たちの期待かも知れません。

あるいは、その人自身が創り上げた、完璧な人物という、幻影のこともあるでしょう。

誰かが喜んでくれる、誰かが感動してくれる。

そんな誰かの反応が、自分の行動の、モチベーションになるのは当然です。

その人たちが励まし、期待してくれることは、嬉しいことであり、決して悪いことではありません。

それでも、その人たちの期待が作る枠組みに、自分をはめこもうとするのは、間違いです。

こうあるべきだ、こうでなければならないんだ、と自分で考えた枠組みに、自分をはめこむのも問題です。

目標を設定して、それに向かって努力をするのは、いいことだと思います。

しかし、それによって、自分のスタイルを固定してしまうと、それは自分自身ではなくなります。

いろいろやっているうちに、自分のスタイルはこんなものだと、見えて来ることはあるでしょう。

でも、先にスタイルを決めて、そこに自分をはめようとするのは、いいことではありません。

何かを好きでやっている時、自分がどんなスタイルなのか、決めつけてはいないと思います。

自分が思ったようにするだけであって、そこにはいろんなスタイルの、可能性があるのです。

自分が好きでやっていることが、人に注目されたら、嬉しいと思います。

でも、好きでやることの、本来の目的は、そこではないはずです。

好きなことをするというのは、自分を表現することだからです。

ところが、多くの人に注目され、期待されると、その人たちの気持ちに、応えようという気持ちが生じます。

人気が出ることで、思いがけない収入が手に入ると、贅沢な暮らしが、できるようになります。

そうなると、その暮らしを維持したい、もっと稼いでもっと贅沢をしたい、と思うかも知れません。

しかし、そんな思いを目的すると、好きでやっていたはずのことが、やらねばならない義務になってしまいます。

以前のように、素直に自分の想いを、表現するようなことは、できなくなるのです。

 ※Candelario Gomez LopezさんによるPixabayからの画像 です。

親や子供など、家族の世話をすることについても、同じことが言えます。

家族を想う気持ちから行動する場合、それは自分がやりたいことです。

でも、他に世話する人がいなくて、仕方なくするのであれば、それはやらねばならないことです。

やりたいことであれば、肉体的に疲れることはあっても、やめようとは思いません。

やらねばならないことならば、大して疲れていなくても、嫌で嫌で仕方なくなります。

他の家族の協力がなかったり、家族の世話のために、自分の時間が取れなくなったりすると、やりたくて始めたことが、義務的になることがあります。

相手を想ってやっていたはずが、相手に対して、いら立ちを覚えるようになります。

 ※maggyonaさんによるPixabayからの画像です。

何で自分だけが、こんな思いをしないといけないのか。
誰も褒めてくれないのに、いつまでこんなことを続けるのか。

そんな気持ちが出るようになったら、一度世話をする相手のそばを離れ、気持ちを落ち着けましょう。

そして、自分自身に問いかけて下さい。

自分は褒めてもらいたくて、こうすることを決めたのか。
自分は義務で、家族の世話をしているのか。

答がイエスであるのなら、他の人と変わってもらうか、手伝ってもらうように、工夫をしましょう。

答がノーであるのなら、自分が愛する家族の世話をできることに、喜びを感じて下さい。

自分にできることと、できないことは、ちゃんと分けて考えましょう。

できないことを、無理にしようとしてはいけません。

できない場合は、誰かの力を借りるか、あるいは手を抜いても問題がないかを、確かめるのです。

何でも一人でしなければならない、という価値観があるのなら、その価値観を手放しましょう。

自分の想いを大切にしながら、知らない間に義務で動いていないか、自分を枠にはめようとしていないかを確かめて、自分がやりたいことを、続けることが大切です。

やりたいことを続けると言うと、ずっと活動を続けるように、受け止めたくなるかも知れません。

でも、この言葉の中には、時には立ち止まって休息を取るという、意味も含まれています。

休息することで、新たな力を養う。

止まっているように見えても、これも前進するために必要な、戦略的行為でもあるのです。

何か違うなと感じた時、それはちょっと立ち止まるようにと言う、心のサインなのです。

そのサインを、どうぞお見逃しなく。

 ※Free-PhotosさんによるPixabayからの画像 です。