風刺とは何か

イスラム教の預言者、ムハンマドの風刺画に反発したテロが、フランスで続発しています。

どのような理由であれ、テロは許されません。

しかし、わざわざムスリムの人たちを刺激して、テロを起こさせるのはどうかと思います。

根底にはムスリムの人たちに対する、多くのフランス人の蔑視があるのでしょう。

ただ、東北が津波に襲われた時に、福島の原発を巡って描かれた、奇形の力士の風刺画から考えると、ムスリムの人たちだけに限った、蔑視ではないように思います。

恐らく、フランス以外の文化に対する、反発心があるのでしょう。
そうでなければ、何でもかんでも風刺したりは、しないはずです。

ムハンマドの風刺画を、生徒たちに見せて殺された、中学校教師の葬儀で、マクロン大統領は表現の自由を強調し、風刺をやめないと公言しました。

これに対して、イスラム諸国は猛反発をし、フランス製品ボイコットの呼びかけています。

するとマクロン大統領は、ボイコットを無価値で容認しがたいと、批判したと言います。

自分たちには、相手を馬鹿にする権利があるのに、相手には、反発する権利を認めないという姿勢は、説得力を感じません。

フランス以外の多くの人が、テロリストの行いを糾弾しつつも、フランスの態度には、眉をひそめているのではないでしょうか。

フランスでは表現の自由ということが、重視されています。

しかし、自由には責任がつくものです。

自由に行った結果は、全て自身にふりかかるのです。

どんなに文句を言ったところで、どうにもなりません。

表現の自由というのであれば、怒りや憎しみの表現として、相手の命を奪うという行為も、正当化されてしまいます。

さすがに、それはいけないだろうと、そこにルールを設けるのであれば、自らもそのルールに従わなければなりません。

フランスの人たちは、自分の家族や友人など、大切な人が冒涜されても、表現の自由だと言って、相手を許すのでしょうか。

自分たちは、相手が信じているものを、風刺しているのであって、信じている個人を、冒涜しているわけではない。

風刺画を擁護する人たちは、そう言い分けするかも知れません。

しかし、心から信じているものが、否定されたり馬鹿にされると、その人たちの心は、大きく傷つきます。

それは自分が否定されたり、馬鹿にされる以上に、深く傷つくものなのです。

相手が信じているものが、間違っていると考え、それを正したいと思うのであれば、冒涜してはいけません。

何を信じようと、本人の勝手です。

そこを変えさせたいと思うのなら、相手の思想を受け入れながら、本当の思いについて、時間をかけて、深く話し合わねばなりません。

しかし、それでも相手が信じ続けるというのであれば、それは尊重されるべきなのです。

何故ならば、自分自身が信じているものが、絶対に正しいと言い切ることは、誰にもできないからです。

自分が自身の信念を持つのであれば、相手にも相手なりの信念を、持つ自由を認めねばなりません。

直接体に危害を加えないという点で、風刺と暴力は違うと、風刺画擁護派は考えるのかも知れません。

しかし、時に言葉の暴力は、肉体への暴力以上に、相手に深いダメージを与えるものです。
ましてや、風刺画にして世間に広めるなど、言語道断でしょう。

そんな事は、どこの国でも常識だと思うのですが、フランスではそうではないようです。

表現の自由を教える授業で、宗教を侮辱する風刺画を、生徒に見せる行為は「正当化される」と答えたフランス人は、78%に上ったと言います。

では、同じ表現の自由を教える授業で、生徒の家族や生徒自身を、侮辱する風刺画を見せれば、どうでしょうか。

それにも、8割近くのフランスの人々は、賛同すると言うのでしょうか。

今、世界は大きく変化しようとしています。
求められているのは、感謝と思いやりの心です。

世界中で猛威を奮っている新型コロナウィルスは、その事を私たちに告げています。

それなのに、どうしてこの時期に、このような風刺をしようとするのでしょうか。

大人は子供たちに、何を教えようとしているのでしょうか。

本来風刺は、権力者に対する非力な抵抗です。

直接争うとひどい目に遭うので、陰で言葉や絵を用いて、相手を馬鹿にするものです。

権力者から虐げられている者が、ささやかな抵抗手段として使うのが、風刺なのです。

何も虐げられていない者が、権力者でもない者に対して、心を踏みにじるような態度を見せれば、トラブルになるのは当たり前です。

それどころか、政府に守られた権力者が、力の弱い人たちを、堂々と馬鹿にしているのです。

風刺の定義から言えば、彼らは風刺をする立場にないはずです。

それでも政府や国民のお墨付きがあるから、胸を張って風刺を続けるのでしょう。

しかし、風刺された者たちの、みんながみんな、泣き寝入りをする者ばかりではないのです。

今のフランスの風刺画擁護の姿勢は、裏に何か深いコンプレックスが、潜んでいるように思えます。

攻撃的な人というものは、不安だから相手を攻撃しようとするのです。

そうする事で、自分の方が立場が上だと、アピールするのです。

豊かな心を持ち、今の人生に十分満足している人は、誰かを否定したり攻撃したりはしません。

そんな事をする暇があれば、自分がやりたい事に、全ての情熱を注ぐはずです。

風刺を専門にしている出版社は、風刺を仕事にしています。
仕事ですから、毎日、誰かを風刺しなければなりません。

彼らの風刺は、権力に対する抵抗ではなく、商売です。
あるいは、自分たちの存在の誇示でしょう。

インターネットで誰かをボコボコにして、正義感ぶっている人がいますよね。
それと同じ理屈だと思います。

彼らは常に、自分の正義を振りかざすための、生け贄を探しているのです。

フランスの人々は、自分たちがテロと、戦っているつもりなのかも知れません。

しかし、自分たちの行いが、テロリストを生み出していることに、気づくべきです。

テロリストが生まれるのは、宗教が原因ではありません。
宗教は一つのきっかけに過ぎません。

神の名を使えば、自分の行為を正当化しやすいので、利用しているだけです。

しかし、テロリストが全員、神を利用するわけではありません。

彼らがテロを起こす理由は、もっと日常的な所にあるのです。

普段の生活の不満や不安、将来への失望などが、彼らの原動力なのです。

それなのに、彼らの神経を逆なでするような事を、社会全体で意図的にするわけです。
テロが発生するのは、当たり前でしょう。

ただ、これは日本でも言える事です。

日本人は風刺画こそしませんし、多くの人はそういう事を嫌います。

しかし、貧しい国の人たちを、労働力として日本へ連れて来て、まともな賃金を払わなかったり、使い捨ての労働者のように扱う事は、少なくないようです。

こういう事を続けていると、同じ人間として扱ってもらっていないという、不満が蓄積して行き、ある日突然、その不満が爆発する事があるのです。

外国人労働者を受け入れておいて、経費がないなどと言い訳をする、業者がいます。

しかし、支払う経費がないのであれば、廃業するべきでしょう。

外国人労働者は、奴隷ではありません。
みんな同じ人間なのです。

自分がされたら嫌な事を、相手が誰であれ、やってはいけません。

また、お金儲けのために、誰かを利用するという発想は、捨てるべきです。

遠い国から、助けに来てくれる人たちです。

彼らへの感謝と思いやりの気持ちを、忘れてはならないのです。