昨日の自分 今日の私 その3
昨日の自分と、今日の自分が別だとすれば、どれが本物の自分でしょうか。
昨日と今日だけでなく、瞬間瞬間で違う自分がいるのであれば、自分というものが、無限に存在する事になります。
これでは、そもそも自分とは何なのか、という話になってしまいます。
でも、ご安心下さい。
今から説明しましょう。
昨日と今日で異なる自分、あるいは、瞬間瞬間で違う自分というものは、一般的にみなさんが自分だと、認識している自分です。
しかし、その自分というのは、この世界に属した体に基づいて、この世界バージョンに構成された、自分なのです。
本来の自分というものは、この世界の外にあるのです。
この世界はパソコンの中にある、バーチャル世界のようなものだと、考えて下さい。
パソコンのバーチャル世界の中に、あなたのキャラクターが存在します。
でも、本当のあなたは、パソコンの外でモニターを見ながら、自分のキャラクターを操作しています。
この世界で自分だと認識しているのは、バーチャル世界のキャラクターを、自分だと認識するのと、同じなのです。
パソコンのキャラクターは、アニメーションとして動きます。
つまり、一コマ一コマのキャラクター画像を、高速で置き換える事によって、実際に動いているかのように、見せているのです。
そこには無数のキャラクターである、自分が存在しています。
あなたは自分のキャラクターを、操作できます。
でもキャラクターは、バーチャル世界の中のルールに、従うように設定されています。
そのためキャラクターは、必ずしもあなたの指示に、従うわけではありません。
あなたの声が届きやすいのは、キャラクターの心が萎えている時です。
それでも、心が萎え過ぎると、かえって声が届きにくくなってしまいます。
キャラクターの思考や行動は、全て自動的に行われます。
これは自我と呼ばれるものです。
この自我を、私たちは自分だと認識しているのです。
自我は、自分と自分ではないものを、区別する能力です。
そのため、どうしても体を基本にして、自分という認識が生まれるのです。
しかし、自我が存在できるのは、無意識があるからです。
いわば、自我は無意識の先端が、この世界に合わせて、変化したものなのです。
この世界バージョンに変化したため、無意識とは違う形を持った自我意識は、それだけで独立した意識存在となっています。
それでも無意識とのつながりが、なくなったわけではありません。
自我意識の中心にあるのは、やはり無意識なのです。
言い換えれば、自我意識は無意識に着せられた、衣装のようなものです。
その衣装は、この世界で生きて行くために、必要なものです。
その衣装によって、その人の性格、つまりキャラクターが作られます。
しかし衣装には、無意識に似合ったものと、そうでないものがあるのです。
あなたはキャラクターを操作しますが、それは直接的な操作ではありません。
キャラクターの自我が納得する形にしなければ、あなたの指示はうまく伝わりません。
バーチャル世界で設定されたルールや、経験を通して、キャラクターが独自に作ったルールが、あなたの指示の邪魔をする事があるのです。
それでも、あなたが根気強く指示を出し続けると、いずれはあなたの指示が、最も影響力を持つようになります。
あなたが指示を伝える事に成功すると、キャラクターはその指示に基づいた、思考や行動を自動で行うようになるのです。
この世界に存在する私たちは、この自動的・反射的に行動するキャラクターと同じです。
通常の自我意識は、この世界にはびこる常識や、自信のなさ、不安などに、縛られています。
本来の自分である、無意識からの指示を、受け取る余裕がありません。
目先の出来事や、経済的な状況に、右往左往させられるのです。
しかし、とことん落ち込み、自分を嘆きながら、自分自身に目を向けるようになると、そこに無意識の存在を、見つける事があります。
自分は本当は何がしたかったのか。
本当の自分の姿は、どんな風なのか。
今からでも遅くない、本当の自分になろう。
そんな開き直りにも似た思いが、湧いて来るかも知れません。
それは、無意識からのメッセージを、受け取れたという事です。
無意識の自分は、この世界の外にあります。
その思考は一瞬の中に、全てが織り込まれています。
この世界の思考のように、時の流れに合わせて、順序よく並べて行くような、思考ではありません。
無意識の自分は、昨日も今日も同じです。
時の流れを超越しているのです。
無意識の声に耳を傾けないと、世の中の流れに翻弄されます。
それは帆や羅針盤のない船で、嵐の海を当てもなく、流されるようなものです。
無意識の声は、あなたにどちらへ進むのかを、教えてくれます。
進むための力も、与えてくれます。
その方向にあるのは、喜びです。
人生とは喜びです。
喜びがなければ、人生が無意味になってしまいます。
それでも、無意味になるという、意味があるとは言えますが、できればそうではない意味を、持たせたいものです。
どれほど長く生きたか、どれだけお金を稼げたか、どんなに人気者になれたのか。
そんな事は、喜びとは関係ありません。
本当の自分は、人生の中に意味を見つけ、それを喜びに変えます。
本当の自分の指示に、耳を傾けましょう。
見かけの自分ではなく、この世界の外にいる、本当の自分に意識を合わせるのです。
どんなにつらい状況の中でも、あなたが喜びを見つけられるよう、本当の自分は教えてくれます。
あなたが小さな事に喜びを見つけた時、あなたの意識は本当の自分と、ぴったり重なっているのです。