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昨日の自分 今日の私 その2

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 ※SemeventさんによるPixabayからの画像です。

レゴというブロックの、オモチャをご存知でしょうか。

上の写真のように、ブロックの上に丸い突起が付いていて、ブロックの下にその突起物がはまる、穴があるのです。

ブロックには、いろんな大きさや色の物があり、それらを組み合わせる事で、様々な物を作る事ができます。

難点はちょっと値段が高い事です。
大きな物を作ろうと思うと、かなり出費してしまいます。

下の写真は、レゴブロックで作ったアヒルです。

 ※Andrew MartinさんによるPixabayからの画像です。

これと全く同じ物を、作ったとしましょう。
そして、元のアヒルと入れ替えるのです。

きっと誰も気づきませんね。

このアヒルのくちばしの先には、一部黒い所がありますね。

この黒いブロックを、茶色に変えたアヒルなら、どうでしょうか。
それなら気がつきますか?

中には気がつく人が、いるかも知れません。
でも、恐らく大半の人は、気がつかないでしょう。

その部分に、特別注視していなければ、明らかに違っている事でも、案外見落としてしまうものだからです。

では、アヒルの顔の緑色の部分のブロックを、少しずつ青色のブロックに、変えて行きましょう。

薄い緑色の所を薄い青色に、濃い緑色の所を濃い青色に、毎日少しずつ色を変えた、アヒルに交換するのです。

それでも多分、その変化に気づく人は、少ないでしょう。

しばらくしたら、気づくかも知れません。
でも、あまり気に留めたりは、しないと思います。

アヒルの頭が完全に青になると、アヒルの色が変化したと、気づく人がいるでしょう。

でも、色が変わったと思うだけで、アヒル自体が別のアヒルだとは、考えないに違いありません。

 ※Andrew MartinさんによるPixabayからの画像です。

ある日突然、アヒルがイソシギになっていれば、誰かが置き換えたと思うでしょう。

しかし、同じ形のアヒルが、少しずつ色を変えた場合は、アヒルが置き換えられたとは、考えないと思います。

それは、時間とともに変化している、この世界でも言える事です。

世の中は、全てが一瞬一瞬、変化しています。
私たちの思考や感情も、そうです。

もし一つも変化がなければ、写真のように、永遠に時が止まったままに、なってしまうでしょう。
思考も停止状態です。

しかし、日々の変化を認めても、私たちは世界や自分自身が、瞬間瞬間に置き換えられているとは、考えません。

ちょっと話がそれますが、時の流れというものは、世界が変化する様を、意味しているのかも知れません。

この世界に暮らす私たちは、言語を用います。

文章を書くにも、言葉として喋るにも、順を追っての行動です。

それは時間と共に変化する、この世界の流れに沿ったものです。

頭の中で、ああだ、こうだと考えるのは、言語的思考です。

やはり時間の流れに沿って、思考が動いているのです。

さて、一瞬一瞬の変化に、話を戻しましょう。

世界は常に、一瞬一瞬変化しています。

と言う事は、一瞬前の世界と今の世界は、別ものだと考える事ができるわけです。

見た目はほとんど同じですが、わずかでも変化があるわけですから、別のものなのです。

 ※Jeong Eun LeeさんによるPixabayからの画像です。

机の上に置いたカップは、じっと眺めていても、何も変わりません。

でも、カップを構成している原子の中では、電子はひっきりなしに状態を変えています。

原子核を構成している素粒子も、じっとしているわけではありません。

つまり、見た目は何も変わらないカップですが、原子レベルで考えると、常に変化しているのです。

ですから、一瞬前と今とでは、同じカップではないのです。

私たちの体も、言語的思考を司る、表面的な意識も、一瞬前と今とでは異なると、考えられます。

これを単なる連続的な動きだと、とらえるのが普通でしょう。

でも、無限にある一瞬一瞬の世界を、パラパラ漫画のように取り込む事で、連続した世界を感じ取っているとも、考えられます。

要は変化というものを、どのようにとらえるかの問題です。

 ※OpenClipart-VectorsさんによるPixabayからの画像です。

私たちが認識できるのは、今という、この一瞬だけです。
過去や未来を、同時に観測しているのでは、ありません。

それは、高速に置き換えられる、画面を眺めているのと、同じ事です。

あらゆる動き、あらゆる変化は、高速に置き換えられた、瞬間の世界によって、創り出されているのです。

一瞬一瞬の世界が別物だとすれば、昨日と今日では、世界も自分も、全く別ものだと言えます。

ましてや、一年前と今とでは、全てが全然違うわけです。

それなのに、世界は変わっていないと、人は考えます。

一年前に心が傷ついた人が、未だにその傷を抱き続けている事は、少なくないでしょう。

でも、本当は一年前とは、全く違う自分なのです。
全然違う自分になっても、何も問題はないのです。

それは昨日と今日の自分でも同じです。

 ※Ryan McGuireさんによるPixabayからの画像です。

昨日、嫌な事があったからと言って、今日も嫌な気分でいる必要はありません。

連続して同じ自分だと思うから、同じ気分でいないといけないと、感じてしまうのです。

でも、昨日と今日は違う自分だと考えれば、昨日とは違った気分を、誰にも遠慮する事なく、味わう事ができます。

今日は明るい自分で行こうと、自分で決めればいいのです。

昨日の自分と今日の私は、別人なのですから。