学校のこと

学校の9月入学の話が、取り沙汰されています。
海外の学校は大半が9月入学だそうで、それに合わせることで、国際的な教育を進めたいという、思惑があるようです。
きっかけは、コロナ騒ぎで休校になった子供たちの、勉強の遅れをどうやって取り戻すか、という問題でした。
しかし、議論の重点は本来の問題から、グローバル教育の方へ、シフトしているようにも思われます。
9月を入学時期にするのなら、それはそれで結構だと思います。
ですが、それより先に考えることが、あるのではないでしょうか。
かつて、ゆとり教育と言われた方針が、今では間違いだったと、決めつけられています。
ゆとり教育のせいで、外国の子供と比べて、日本の子供の学力が落ちた、というのが理由です。
ですが、それまでの教育方針に問題があったから、ゆとり教育という話が、出たのではないでしょうか。
ゆとり教育にすれば、ある程度学力が低下することは、覚悟の上だったはずです。
それなのに、実際に学力低下を指摘されると、慌てて元に戻したのです。
これは、とても愚かなことだと思います。
ゆとり教育の問題は、子供に自由な時間を与えて、放置したことでしょう。
浮いた時間で、子供たちに人間として大切なことを、教えるべきだったのです。
ゆとり教育で叫ばれた教育の問題は、まだ解決していないのです。
そこを忘れて、授業を詰め込もうとしたり、国際化を論じても仕方がありません。
テレビのインタビューで、久しぶりに学校へ行けることを、喜ぶ子供は多いと思います。
しかし、学校がつまらないとか、学校へ行きたくない、ずっと休みだったらいいのに、と思う子供もいるはずです。
でも、こういう子供はインタビューから、はずされるのでしょうね。
そもそも学校へ行くことは、子供の教養を高めるのが、目的だったはずです。
しかし、今の学校の目的は、子供たちが最終的に大卒の資格を取って、どこかの会社に就職させるということに、なっているように思います。
子供が授業内容を理解していなくても、授業を進めたり、そのまま卒業させることが、その証でしょう。

成績が悪い子が自信を失い、自分の人生は他の子よりも、劣ったものだと信じてしまうような、学校教育には意味がありません。
学校は子供の教養を高める所です。
子供の好奇心を引き出し、やる気と喜びを経験させる所です。
決して、どこかの会社に入るための、予備校ではありません。
大学へ進もうと進むまいと、そんな事は子供の自由です。
行きたくない子を、無理矢理大学へ行かせたり、大学へ行きたいのに、お金がなくて行けない子がいるというのは、全くの矛盾です。
どうすれば子供たちみんなが、快適な学校生活を送れるようになるのか。
子供たちにとっての学校とは、どうあるべきなのか。
そちらの方が9月入学の議論より、真剣に討議されるべきだと思います。