存在する価値 その3
自分の価値で悩む時、全体的に共通して言える事は、こうでなければならない、こうに決まっているという、決めつけた思い込みです。
何かをする以上、トップを目指さなければならない。
男である以上、弱音を吐いてはいけない。
女である以上、家庭を守るのが当たり前である。
一つでも汚点がついた者は、人間として失格だ。
学歴がない自分の人生が、花開く事はない。
ちやほやされても、本当の自分は無能だ。
他にもいろいろあるでしょう。
いずれにしても、根拠のない価値観で、自分を縛りつけて、心を窒息状態にしているのです。
心が辛うじて息ができているうちは、不安を感じているだけです。
しかし窒息状態になると、心はパニックになって、発作的に人を傷つけたり、自分自身を傷つけたりするのです。
でも、いきなり窒息状態になるのではありません。
そうなる前に、自分を苦しめている価値観が、偽りの価値観である事を、見極めるのです。
そういった価値観というのは、誰かが誰かを支配するために、作られたものなのです。
相手から自由を奪い、不安を起こさせる事で、自分を有利にしようと考えた者が、作ったものなのです。
裏切られた、見捨てられた、無視された、恥をかかされた。
いろんな事で、深く心が傷つく事はあるでしょう。
それが何年経っても、心の奥底に棘のように、突き刺さったままのように、感じるかも知れません。
だけど、これにしたって、やはり支配者による価値観で、束縛されているのです。
そうでなければ、苦しむ事などありません。
誰かと上手く行かないのは、先に述べましたように、波長が合わない。
それだけの事です。
たとえ、それが家族であっても、親友であっても、先生であっても、関係ありません。
みんな一人の人間であり、それぞれの波長を持っているのです。
波長が合わなくなったのなら、離れるだけの事です。
相手がその事を、どう思うのかは関係ありません。
自分がどう受け止めるのかと、いう事だけです。
人間関係で上手く行かない経験があった時、その事で自信を失うのは、小学校の体育で、跳び箱が跳べなかった事を、大人になっても悔やみ続けているようなものです。
だから、何?
それが、どうしたの?
これで、いいのです。
大した問題ではありません。
その事であなたに同情する人は、同情する事で、無意識かも知れませんが、自分の立場を有利にしようとしているのです。
同情という言葉は、聞こえはいいのですが、相手を低く見る行為です。
それはつまり、自分の相対的な地位を、高める行為なのです。
共感はいいと思います。
でも、同情はするべきではありませんし、されるべきでもありません。
同情されると、自分の位置は低いものだと、無意識に受け止めるようになってしまいます。
その思いは心の奥にとどまり続け、どんなに状況がよくなっても、お前になんか価値はないんだぞと、囁き続けるのです。
同情されていなくても、世間一般のそういう考え方を、何の疑いもなく受け入れてしまうと、やはり同じ事になってしまいます。
世間が同情するような、境遇に陥ったとしても、自分を哀れんではいけません。
自分を哀れむ事は、自分は価値がないと、自分に呪いをかけているのと同じです。
哀れまないで、ただそこから立ち上がる事だけ、考えましょう。
そして、同じ境遇の人たちに、共感してあげて下さい。
ある価値観に縛られて、苦しんでいる時は、自分はハメられていると、受け止めましょう。
そして、その価値観に従う事が、どれだけ愚かで、馬鹿馬鹿しい事なのかを知るのです。
大切な事は、自然な人間の姿を考え、本来の自分がどういうものなのかを、理解する事です。
自然に咲く花たちは、自分がこうあるべきだなんて、考えていないと思いますよ。
世の中に存在するものに、無駄なものは一つもありません。
人間も宇宙の一部です。
どんな人間にも、存在するだけで価値があるのです。
本当に存在価値がないのであれば、初めから存在していません。
自分が存在しているという事は、それだけで不思議な事ですし、素晴らしい事なのです。
考えるのであれば、存在価値ではなく、存在する意味を考えるべきです。
わからなければ、追求すればいいのです。
自分が今、この時代に、今の家族に、この状況にあるというのは、必ず意味があるのです。
そして、その意味がわかるのは、自分だけなのです。
他の人にはわかりません。
わからない連中が何を言った所で、それこそ意味がありません。
わかっていない者たちの価値観など、放って置けばいいのです。
自分がどうして、この時代、この世界に生きる事を選んだのか。
それを探って欲しいと思います。