何気ない一言
ふとした言葉で、一喜一憂する事ってありませんか。
言葉を発した人は、それほど深い意味で言ってるわけではないのでしょう。
でも、それを聞いた方は、胸がドキンとするのです。
それが嬉しい言葉であれば、胸がときめくでしょう。
でも、傷つくような言葉であれば、憂鬱な気分になりますよね。
もちろん、相手は自分が傷つけた事には、気がつきません。
何だか相手の本音が、垣間見えたような気がして、余計に悲しくなったりします。
そのせいで、仲がよかった人との関係が壊れたり、疎遠になったりする事もあるでしょう。
それこそ悲しい事ですよね。
何を言われても、傷ついたりしなければ、何事も起こりません。
つまり、その言葉に傷つく自分にこそ、問題があるのです。
相手の言葉が、正しいかどうかではありません。
自分が傷つくか否かに、それは関係がないのです。
もし誰かに、何かを言われて傷ついたとします。
そんな時には、どうしてそんな事で、傷ついてしまうのだろうかと、その理由を自問するのです。
たとえば、稼ぎが悪いと言われて、傷つく事があるでしょう。
自分は一生懸命働いているのに、これ以上どうしろと言うのかという話です。
でも考えてみて下さい。
もっと稼ぎを得るために、何か工夫はしただろうか。
資格や技術を取る、努力をしているのか。
職場や生活の場が、ここでないとだめだと決めつけていないか。
あるいは、こんな風にも考えられます。
稼ぎが少ないと言うが、本当に今の稼ぎでは、不十分なのか。
自分が働く以外に、稼ぎを増やす事はできないのか。
そもそも今の暮らしを、続ける必要があるのだろうか。
何かの固定観念で、自分の動きを縛りつけている。
こういう事は、よくあります。
その結果、自分の可能性を、うまく引き出せずにいる。
そうだとすれば、問題は固定観念にあるわけです。
固定観念を打ち破るのは、容易ではありません。
何か強い感情や衝動が必要です。
何気ない一言に対する反発心が、自分を固定観念から、自由にしてくれた。
そう思えた時、相手の人に腹を立てるのではなく、感謝する事になるでしょう。
美人じゃないとか、太っているとか、あるいは頭が悪いとか、体の事を言われて傷つく場合は、どうでしょうか。
この場合、あなた自身がそういう体の持ち主を、見下していないか確かめて下さい。
そんな事はない。
自分は、人を見下したりしない。
そう言い返したくなる人は多いでしょう。
でも、本当にそうでしょうか。
あなたは心のどこかで、そういう人たちの事を、惨めだとか気の毒だとか、思っていませんか。
気の毒にという言葉は、相手をねぎらう言葉です。
でも、それは相手が今の自分の立場より、低い所にある事を示しているのです。
相手を悪く見ているつもりはなくても、相手は自分より辛い立場にあると、考えているわけです。
自分が太っていて、ダイエットに成功したとしましょう。
あなたは、すっきりと細い体になりました。
そこに、とても太った人が来たとします。
その人を見て、気の毒にと思ったなら、あなたはその人を、低く見ているのです。
世の中は、お金のあるなしや、結婚しているか否か、どんな体型をしているか、などと勝手に誰かを比較して、勝ち組負け組と区別する傾向があります。
多くの人が、この勝ち組負け組の概念を、心の中にすり込まれ、自分や他人をそういう価値観で、判断してしまうのです。
誰かに何かを言われて、傷つく本当の理由は、このような価値観にあるからでしょう。
自分が負け組にいると思うと傷つきますし、勝ち組に入れたと思うと、安心するのです。
これは昔の日本の士農工商や、インドのカースト制度なんかと同じです。
こういう身分制度はよくないと知りながら、そこから抜け出せないようなものです。
あなたが体型や頭の事で、他の人を気の毒だとか、変なのと思わなくなれば、自分の体型や頭の事も、気にならなくなるでしょう。
誰かを低く見ている人は、いつか自分が、その立場にならないかと不安になります。
実際にそうなったら、その人にとって、人生は終わりとなるでしょう。
たとえば、お金や権力を持った人が、それらを失った時がそうです。
人の顔を不細工だと笑う人が、顔に大怪我をした時も同じです。
体が不自由な人を邪険にする人が、事故や脳卒中で、体に麻痺を伴った時もです。
あなたの事を馬鹿にする人がいても、放って置けばいいのです。
人生の善し悪しは、体型や頭のよさとは関係ありません。
それらは全て、個性に過ぎないのです。
怪我や病気で見た目が変わっても、それは新たな個性が、加わっただけのことです。
ぽろっとひどい事を言った人が、あなたにとって大切な人だったなら、穏やかに相手の間違いを、諭してあげましょう。
それが通じなければ、黙って様子を見ていればいいのです。
あなたが傷つかなければ、とりあえずは問題はありません。
あなたが相手を、本当に大切に思うのであれば、相手の価値観は尊重してあげましょう。
そして、その価値観が原因で、その人自身が傷つく事があれば、その時に改めて諭してあげればいいのです。