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祈りと決意1

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 ※StockSnapさんによるPixabayからの画像です。

人は大切な人のために、祈ります。

試験に合格しますように。
無事に戻って来ますように。
病気が治りますように。
成仏できますように。

宗教があろうがなかろうが、祈りには関係ありません。

本当にその人のことを思う時、自然に胸の前に両手を組んで、その人のために祈ります。

神さまという、具体的な祈りの対象がある人は、神さまにお願いする形で、祈るでしょう。

しかし、神さまをイメージしない人でも、とにかく祈ると思います。

これは一種の本能的な行動なのだと、私は考えています。

どういう事かと言いますと、私たちの意識領域のうち、無意識と呼ばれる部分が、祈るということの意味を、理解しているからでしょう。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。

全ての人の心は、一つにつながって、人類の意識を形成しています。

祈りはそのつながりを通して、無意識から無意識へと伝わるのです。

無意識はその事が、わかっているのでしょう。

それで誰かの事を想う時に、それが祈るという行為に、なるのだと思います。

そして、その祈りは必ず、相手の無意識へ届くのです。

ただ、祈れば必ず、そのとおりになるのかと言うと、そういうわけではありません。

他人の運命を決めることは、どんなに祈ってもできません。

その人の人生を決められるのは、その人自身だけです。

その人が本気で動くかどうかで、その人の将来が決まるのです。

祈りはその人が本気で動くための、働きかけになるでしょう。

それでも結果は、その人の気持ち次第というところです。

 ※himawariinさんによる写真ACからの画像です。


祈りの対象が、自分自身である事も、ありますよね。

でも、この場合の祈りというのは、大抵の場合、自信のなさや不安な気持ちの、表れに過ぎません。

つまり、上手く行かなかった時の事を、悪いものと受け止めている事の、裏返しが祈りなのです。

一方で、自分に絶対的な自信がある人は、祈ったりしません。

この人たちは、自分の望みは、絶対に叶うものだと確信しています。

問題はそこへどうやって、アプローチするかという事だけです。

上手く行かない場合も、それを失敗だとは見なさず、別の道を探るよう示されたと、考えるのです。

失敗したと考えるのは、だめかも知れないという意味です。

失敗が続くと、絶対にだめだと思って、諦めてしまいます。

 ※Steve BuissinneさんによるPixabayからの画像です。

でも、失敗したと思わなければ、まだ途中であって、終わってはいないのです。

自信がある人は、何度上手く行かなかったとしても、だめだとは思っていませんから、さらに何度でも、挑戦を続けます。

彼らは祈る代わりに、必ず成し遂げるという、決意をしているのです。

そんな想いで行動すれば、必ず結果はついて来ます。

それには、ちゃんとわけがあるのです。


他の記事で書きましたが、人は一人一人が、独自の世界を体験しています。

他の人たちと同じ世界にいるように見えますが、実際は一人一人が、違う世界を体験しているのです。

その世界を構成しているのは、体からの感覚情報と、それに対する感情反応です。

自分の望みが叶うという事は、望みが叶った世界を、体験するという事です。

体験している世界は、どこでどんな情報を集めるかによって、全然違うものになります。

望みが叶った世界にするためには、それに見合った情報を集めて、世界を構築する必要があるのです。

では、どうすればいいのでしょうか。

それを教えてくれるのは、無意識です。