建築物に思うこと1
アパートを借りる時、建物の外観が、重視されると思います。
自分でローンを組んで、念願の家を建てる時も、やはり外観に力を入れますよね。
自分が暮らす家の見栄えは、とても大切です。
だけど、家の基礎の部分に注目する人は、専門家でない限り、あまり多くないと思います。
大きな建物も小さな家も、基礎がしっかりしていないと、だんだん傾いて来るかも知れません。
大きな地震の時には、倒れてしまう可能性だってあります。
それほど基礎は重要なものです。
だけど、一般の人の注目を浴びることは、まずないと言えるでしょう。
ほとんどの人は、外観の方に気を取られて、足下の基礎になんか、目を向けません。
これは人生とよく似ています。
大抵の人が、人生を生きて行くための、心の拠り所を持っています。
それは家族です。
人生における家族は、建物の基礎部分と同じです。
でも、自分がやっている事で、頭が一杯になっていて、大切な家族の事を、忘れがちになる事が、あるのではないでしょうか。
心の拠り所はずの、家族を顧みないで、仕事や遊びにばかり、意識を向けている人は、少なくないと思います。
不幸にして、家族に恵まれなかった人がいます。
そいういう方たちは、何をしても気持ちが、浮ついてしまうと聞きます。
自分に自信がなく、何だか落ち着かないのです。
ただ生きるだけであれば、家族なんかいなくたって、食べる物さえあれば、生きて行けるでしょう。
しかし、成長するのは、身体だけではありません。
心も成長するのです。
人は家族の中で育ち、一人の人間として、扱われる体験をするのです。
楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、腹が立つこと、面白くないこと。
いろんなことを、家族のみんなと体験し、感情を共有するのです。
他の人には、わかってもらえなくても、家族だけは、自分を理解してくれる。
そんな気持ちが、その人の心を、安定させてくれるのです。
幼い頃に家族を失ったり、家族から虐待を受けたりした人は、この基盤がないまま成長し、大人として、扱われるようになります。
それは、まだ泳ぎ方を知らないのに、水の中へ放り込まれるようなものです。
どうすればいいのかわからず、溺れそうになりながら、途方に暮れてしまいます。
自分に居場所なんて、あるわけない。
そう思いながらも、暗闇の中を手探りするように、助けてくれる人を探します。
そうやって、やっと見つけたはずの人を疑ってしまい、自ら居場所をなくしてしまうこともあるのです。
それでも、いい人やいい仲間に巡り会え、ようやく居場所を、見つけた人もいるでしょう。
その人は、そこで人生という家の基礎を築き、素敵な家を建てるのです。
それでも自分には、本当の家族はいないんだと、ふと考える時もあるかも知れません。
そういう時は、突然切ない想いに、襲われるに違いありません。
そうなっては、せっかく見つけたはずの、人生の基盤が、揺らいでしまいます。
でも、それは家族の定義に、問題があるのです。
家族とは何かと考える時、大抵の人は、血が繋がった親子や兄弟などの関係を、考えるでしょう。
あるいは、結婚して配偶者との間にできた、新しい家庭のメンバーを、思い浮かべると思います。
その家族のイメージを、絶対的な真理として受け止めてしまうから、そこから外れてしまった事で、思い悩んでしまうのです。
この問題から抜け出すためには、家族とは何なのかという事を、自分の考えによって、定義し直す必要があるでしょう。