前を向こう その4
親や先生との関係で、自分が自信を失ったのだとわかった時、親や先生に対する怒りが、湧き起こるかもしれません。
今の自分がこうなったのは、全部あの人たちのせいだ、と恨みたくなるのです。
その気持ちはわかりますが、でも、ここでも冷静に考えて欲しいと思います。
誰かのせいで、こうなった。
それは、自分の人生は台無しにされた、という意味です。
台無しというのは、元には戻らないということですね。
しかし、それはまだ世の中の支配者たちが、刷り込んだゆがんだ価値観が、作動している証です。
まず、他人と同じような人生でなければならない、という思い込みです。
これは明らかにゆがんだ考えです。
自分の状況だけを見て、そう思うのでしょうが、この考えに従えば、生まれながらに身体に不具合がある人や、生まれた時には片親しかいなかったり、あるいは両親ともにいなかったという人は、初めから価値がないということになります。
そんなつもりはないのかもしれませんが、他の多くの人と同じ人生を歩めないということを、悪いととらえるのは、そういう意味なのです。
人はそれぞれ違うのです。
見た目だけでなく、生まれ育つ環境も違うのです。
そこに、いいも悪いもありません。
見た目に大変そうでも、その環境の中でしか見つけられない価値というものもあるのです。
そんな環境の下に生まれて来る者たちは、とても力強い魂の持ち主だと言えるでしょう。
それは自分に対しても、言えることなのです。
自分が他人と異なることを認めて受け入れる。
これは、とても大切なことで、自分の人生を歩む上で、基本的なことなのです。
次に、自分で自分の人生を、コントロールできると認識している人は、何があってもそれを他人のせいにはしません。
他人のせいにしたくなるのは、自分は人生をコントロールできない、つまり無力な存在だという気持ちがあるのですね。
それは、やはり刷り込まれた価値観でしょう。
元々無力な者など、一人もいません。
無力に見えたとしたなら、そう見ている人が、その人の価値を見い出せていないだけのことです。
目が曇っているということですね。
お前は無力だと思い込ませることで、支配者は人々を自分の言うことを聞かせようとするのです。
無力で何もできないのだから、こちらの言うとおりにしてれば、間違いないよと言うのです。
そうして、人々を自分の手下として、好きなように扱うのです。
自分はそんな支配者から逃れて自由の身になれたのに、未だに捉えられたまま、いいようにされている親や先生たちを、気の毒だと思いませんか。
ある意味、生きた屍にされているのです。
自分がどんな状況に置かれているのか、気づくことすらできずに、貴重な人生を支配者のために捧げるわけです。
可哀想だと思いませんか。
彼らの考えを、他人が改めることは難しいです。
でも、彼らを許すことはできるでしょう。
彼らを許せる時、自分は彼らよりも高い視点にいます。
それは人間として、大きく成長したということです。
自分を直接傷つけた者がいたとしても、同じことです。
その人物も生きた屍です。
本当に自分の人生を歩んでいる者たちは、決して誰かを傷つけようとしません。
みんな仲間だと理解しているからです。
高い視点に立って人生を歩んでいれば、同じ視点に立つ者としか、付き合わなくなります。
そこには互いを高め合う要素しかありません。
人生はますます楽しく豊かなものとなり、あの苦しかった人生は何だったのかと、思うほどになるでしょう。
ポイントは許すということです。
自分を傷つけた人たちを許すことで、傷つけられた自分を許せるようになるのです。
つまり、自分はこのままでいいんだ、と思えるようになるのです。