水を得た魚 その2
あなたが水から引き上げられた魚なのだとしたら、あるいは、水はあるけれど、とても狭い所に押し込まれていたのだとしたら、それを無理に続けることはありません。
人間に捕らえられた魚は、自分の力でそこから逃げ出すことはできません。
まな板や水槽から、広い海や川や湖へ、自分の力で逃げることはできないのです。
でも、人間は違います。
人間は自分の力で移動ができますし、環境を変えることもできます。
もちろん、それが困難な場合もあるでしょう。
でも、いきなり困難になるのではなく、気がつかないうちに、困難が手に着けられなくなってしまうのです。
そうなる前に、そこが自分の水なのかどうかを、判別する賢さが必要です。
幼いうちは、自分の水がどのようなものかは、頭ではなく感覚で理解しています。
しかし、周りからいろいろ教え込まれ、頭で考えるようになると、次第に水を知る感覚が、麻痺して行きます。
大人がいろいろやっても、愚図る子供は、まだその感覚が残っているのでしょう。
それが自分の肌に合わないと、感覚でわかっているのです。
みんなと同じようにしろと、長い間教え込まれると、一応はそれらしくできるようにはなりますが、それでもそれは、その子にはとても苦痛です。
それは大人になっても続き、人並みの仕事、人並みの暮らしを手に入れると、それで自分は幸せなのだと、自分に言い聞かせるのですが、心の奥ではそうではないとわかっています。
これは自分の水ではない、ここは自分の居場所ではないと、ちゃんとわかっているのです。
そのことに、はっきりと気がつく人は、こんなのは自分じゃないよと、さっさと行動を始めます。
でも、なかなか気がつかない人は、いつまでも同じ場所に留まり、それまでと同じことを繰り返します。
そうするうちに心身に不調を来すようになります。
その時点で自分の本当の想いに気がつけばいいのですが、気がつかないと、何も悪いことはしていないはずなのに、どうして具合が悪くなるのだろうと、不安を抱えながら状況はさらに悪化して行きます。
それでも、その人をそこから救い出してあげることは、他の人にはできません。
どんな水がその人に合っているのかが、わからないからです。
こんなのはどう? と提示してあげることはできます。
でも、それを選んで行動するのは、その人自身です。
そもそも自分には、自分に合った水が必要なのだとわからなければ、動きようがありません。
ですから、一度じっくり考えてみて下さい。
自分に合った水とは、どのような水なのか。
自分がいる場所は、自分に合った水なのか。
ここは自分の水じゃないと感じたならば、自分の水を求めて行動して下さい。