全ては表現 全ては言葉 その4
人は嘘をつくことができます。
言葉巧みに相手を騙して、お金を奪われたり、金儲けに利用されたりする人がいます。
あるいは、その人を馬鹿にして、みんなから笑われるように仕向けるために、騙す場合もあるでしょう。
言語は情報伝達の手段ですが、言語だけがそうなのだと考えると、簡単に騙されてしまいます。
しかし、言語以外のところで、本人が気づかないまま表現しているものに、目を向けたなら、相手の嘘を見破ることができるかもしれません。
たとえば、普段自分のことなど、見向きもしない者が、ある時に突然やって来て、儲け話をするのは、どう考えてもおかしなことです。
また、みんながお金を欲しがる世の中で、本当に儲かる話を、他人に喋る者などいません。
こういうところに目を向けると、相手が自分を騙して利用しようとしているのは、一目瞭然です。
学校の成績が悪い生徒を責める先生は、自分の責任を棚に上げています。
生徒に勉強の面白さを教えることこそが、先生に課せられた役割です。
それができなかったことを、生徒の責任にしようとするので、どうしてお前はできないのかと、先生は生徒を責めるのです。
こんな先生は、言葉や態度で、いかに生徒のできが悪いのかを、伝えようとしています。
でも、本当に表現しているのは、自分の権威の維持と責任逃れの気持ちだけです。
生徒を想う気持ちなど、少しもありません。
それを見抜くことができれば、先生にひどいことを言われたと、落ち込む必要がなくなります。
本当にいい先生であれば、その生徒に見合った教え方を、懸命に探ろうとしますし、成績が悪くて落ち込みがちの生徒を、励まそうとしてくれるものです。
同じことが、病院の医師にも言えます。
患者や家族に病気の説明をする時に、やたらと専門用語を口にする医師は、やはり自分の権威を示しながら、一応は説明をしたという証拠作りを、しているだけです。
病気で不安になっている患者や家族の気持ちがわかるなら、相手に理解できる言葉で、情報を伝えながら、ともに解決方法を探るという姿勢を見せます。
パソコンのモニターばかりを見て、患者の顔を見ないとか、ろくに患者の話も聞かないで、検査データだけを見ている医師など、本気で患者と向き合う気持ちはありません。
患者は病院の経営を維持するためのものとしか、見ていないでしょう。
そんな医師に自分の命を預けるかどうかは、真剣に考えた方がいいと思います。
人を疑わない人は善人のように思われがちですが、善人というより、お人好しという方が適切でしょう。
自分以外の人間を、疑ったり悪く見る必要はありませんが、いろんな人をよく観察して、その人の特性を見極める必要はあります。
そこに善悪の観念はありません。
騙されやすい人は、この観察力に欠けていると言えます。
あるいは、相手が好ましくない人間なのがわかっていても、その相手に逆らったりしたら、自分はそこにはいられなくなると、信じ込んでいるのかもしれません。
もちろん、その思い込みは間違いであり、そんな人間とはさっさと縁を切る方がいいでしょう。
それができないのは、判断力と決断力に欠けているということで、その根底には、自分へ自信のなさがあります。
自分が活き活きしていたいのなら、それに見合った環境を、見つけなければなりません。
そのためにも、観察力と判断力、決断力を持つ必要があるのです。
個人だけでなく、集団としての人々の気持ちが、実際はどうなのかということを、よく観察して見抜くことができれば、付き合う人や、働く先や暮らす場所を、どうするのかということが、見えて来るでしょう。
また、相手に任せていいのか、自分で動いた方がいいのかも、判断できるはずです。
あとは、自分が決めたとおりに行動するだけです。
そう、行動力も必要ですし、行動こそが本当の気持ちの表れなのです。