全ては表現 全ては言葉 その2
自分を表現するものとして、よく芸術が取り上げられます。
特に絵画や音楽は、その人の想いを形にする代表的なものです。
絵や音楽が好きなのに、自分が絵を描いたり、歌ったり、楽器を演奏するのは、苦手だという人が少なくありません。
本当はやってみたいのに、自分には無理だと思い込み、せっかくの楽しみを放棄するのは、もったいないことです。
どうしてそう思ってしまうのか。
それは、特定の人たちの技術ばかりが賞賛され、誰が一番かを競うようなことが、多いからでしょう。
芸術とは、そういう人たちがする特別なものであって、素人の自分が手を出せるものではないと、考えてしまうのですね。
それでも、どうしてもやりたいと思った人は、絵であれ音楽であれ、やり始めます。
ところが、他の人と自分を比べて、自分の技術が稚拙に思えたり、とても他の人のようにはできないと、考えてしまうかもしれません。
その結果、せっかく始めたことを、あきらめてしまう人がいます。
これも、他人から賞賛されるような人が素晴らしいのであって、そうでない自分には、芸術は場違いだと思ってしまうからです。
しかし、こういうことは全て誤解に基づいています。
芸術は自分を表現する手段に過ぎず、特定の専門家にだけ、与えられたものではありません。
何が上手で何が下手なのかは、どこを基準にするかで、評価が大きく変わって来ます。
たとえば、親にとって幼い子供が書いた絵は、オークションで何十億円もするような絵よりも、価値があるものです。
どんなに素晴らしい画家であっても、幼い子供の心の中までは、描くことができません。
幼い子供の絵は、幼い子供でないと描けないものです。
本人が大人になってしまうと、昔描けたはずの絵が、もう描けなくなるのです。
音楽だってそうです。
どんなに指運びが素晴らしく、派手で流れるような音を奏でたとしても、そこに訴えかけるものがなければ、感動は起こりません。
ただ、技術が素晴らしいというだけのことです。
一方、年を取ってからピアノを始めた人が、それまでの気持ちを音にして演奏すると、演奏技術はつたなくても、心にぐっと伝わるものがあります。
絵にしても、音楽にしても、それはその人の心を表現する手段であり、表現すべきものがなければ、意味がありません。
どんなに上手な絵でも、そこに心がなければ、それはコピーや写真と変わりません。
どんなに上手な演奏でも、そこに心がなければ、機械の演奏を聴いているのと変わりません。
絵も音も、言葉なのです。
口で喋る言葉は、単語が限られているために、心の全てを表現することは困難です。
しかし、絵や音であれば、言葉では表現しきれない所まで、伝えることが可能です。
子供は子供なりに、自分の言葉で自分の気持ちを伝えようとします。
それと同じように、芸術を始める人は、今の自分にできる範囲で、精一杯自分を表現すればいいのです。
その絵の評価は、他人がするものではありません。
自分の気持ちが表現できたかどうかは、自分にしかわからないからです。
他人が評価できるのは、技法についてだけです。
本当の価値は、自分にしかわかりません。
ですから、他と比べるのではなく、自分が満足できるまで、何度も練習に励めばいいのです。
真剣にやるならば、この練習も大変ですけど、楽しいものです。
何故なら、その先に自分を表現する作品が、待ってくれているのですから。