衣装と自分 その3
この世に生まれた時、私たちは何の価値観も、持ち合わせていません。
育つ間に、少しずつ価値観を増やして行くのです。
でも、みんながみんな、同じ価値観を持つわけではありません。
同じ環境、同じ状況の中にあっても、そこから見い出す価値観は、人によって違うものです。
ある程度の共通点はあっても、細かい所まで突き詰めて行くと、考え方は一人一人違って来ます。
それが、その人の個性を作って行くのです。
他人をやたらと批判したがる人は、自分を思ったように表現ができていません。
自分が制限された状態にあるので、同じ状態にない者を見ると、腹が立つのです。
では、そんな人たちを目にしなければ、腹が立たないのかと言うと、そういうわけではありません。
やはり、自分が制限されているわけですから、楽しいはずがないのです。
衣装で言えば、サイズが小さ過ぎてぴちぴちで、全身が締め付けられ、縛り上げられた状態です。
それが決められた制服だと言われて、無理やりそんな格好をし続けることが、どれだけ苦しいかは、想像できると思います。
そこに、自由でラフな格好をした者が現れて、楽しく過ごしているのを見せつけられると、腹が立つのもわかるでしょう。
それは、その人たちに腹を立てているように見えますが、実はずっと抑えていた自分の苦しみを、爆発させたに過ぎません。
合わない衣装が苦しくて嫌ならば、別の衣装に替えるように動けばいいのですが、それができなければ、ずっとつらい思いをするばかりです。
それと同じように、自分が押さえつけられていると感じながら、それを受け入れてしまっている人は、自由にしている他人が許せません。
自分が受け入れている、ゆがんだ価値観を手放せばいいのですが、その価値観を手放すことが怖かったり、それが自分の一部だと思い込んでいると、どうにもできなくなるのです。
自分の個性を重視するあまり、手放すべき価値観を手放せないのは、自分に合わない衣装を着替えないのと同じです。
表面的な個性よりも、何の価値観も持たない、無垢な自分こそを重視するのが重要なのです。