不完全な完全 その3
空を飛ぶ鳥を見て下さい。
人間にはできないことを、すいすいとやってのけています。
人間は知性を基準にして、生き物の優劣を考えようとしますが、自由に飛べるかどうかを基準にすれば、鳥こそが最高の生き物で、人間なんて全然大したことがありません。
植物を見て下さい。
土と水と光があれば、自分で養分を創り出します。
動物はその養分をわけてもらうことで、命をつなぎとめることができるのです。
もし植物が存在しなければ、動物も人間もこの世界で生きて行けません。
どんなに人間が威張ったところで、食べるものがなければ、生きられないのです。
養分を自分でまかなえるということを基準にすれば、植物こそが最高の生き物で、人間なんて全然大したことがありません。
猛獣を見て下さい。
鋭い牙や爪、固いものでも噛み砕く顎の力、素早い動き。
どれをとっても、素手の人間では敵いません。
持って生まれた戦う力で判断するなら、猛獣こそが最高の生き物でしょう。
人間なんて、下の下です。
魚を見て下さい。
水の中でも素早く動き回ります。
鰓で水中から酸素を取り込めるので、水面に顔を出して息をする必要がありません。
水中での暮らしぶりで言うならば、魚こそが最高の生き物でしょう。
人間なんて、まるで話になりません。
自分たちには知性があると主張したところで、他の生き物たちから見れば、人間なんて、自分では何もできない不完全そのものの生き物でしょう。
でも、人間以外の存在は、完全とか不完全という概念を持ちません。
それぞれが、あるがままの姿で、自分たちの生きるように生きているだけです。
人は自然をよく観察し、自然から学ぶべきです。
何故なら、人間もまた、自然の一部だからです。
自分だけが特別だなんて考えは、捨てないといけません。
自分とは異なる存在を認めれば、世界は違ったように見えるでしょう。
また、自分とは異なる人々のことを認めれば、人間社会も違ったものになります。
不完全なように見えるから、いいのです。
それが個性であり、それが味というものです。
今の自分を受け入れ、今の自分にできることを考え、今の自分の中に幸せを見つけること。
それが自分が自分であるということであり、人間としての自然な生き方となるのです。