衣装と自分 その2
心は直接鏡に映すことができません。
目に見えないわけですから、視覚的に捉えることはできないのです。
しかし、自分の心がどのような状態なのかを、言葉で表現することはできますよね。
たとえば、浮き浮きしているとか、いらいらしているとか、ぼーっとしているとか、泣きそうとか。
これらの心の状態を、視覚的に表現するならば、鏡に映った顔の表情と言えるでしょう。
実際、表情というものは、文字通りに感情を表現したものだからです。
楽しいことがあれば笑顔になるし、嫌なことがあれば暗い顔になります。
悲しければ泣き顔になりますし、腹が立てば怒った顔になります。
では、何が楽しくて、何が不愉快なのかは、どうやって決まるのでしょうか。
そこには、その人なりの基準があるはずです。
その基準は、その人が人から聞いたり、自分で経験したことから得た、いろんな価値観の組み合わせで、構成されています。
多くの人と同じような価値観で、基準を作っている人は、自分が置かれた状況に対して、他の人たちと同じような反応を示します。
でも、個性的な価値観を持っている人の基準は、他の人とは異なっています。
そのため、他の人が笑っていても笑えなかったり、他の人が怒っていても腹が立たなかったりします。
心にとって、この価値観というものは、体にとっての衣装と似ています。
衣装が快適をもたらすものであれば、その人はご機嫌です。
でも、衣装が不快をもたらすものならば、その人は面白くありません。
また、自分の衣装を褒めてもらうと、嬉しくなりますが、けなされると腹が立ちます。
価値観も同じで、明るい価値観は気分を明るくしてくれますし、暗い価値観は気分を暗くします。
また、自分の価値観を認めてもらえれば嬉しいですし、けなされると腹が立ちます。
衣装は体の一部でありませんが、それを身に着けているうちは、その衣装も含めての姿が、自分だと受け止めます。
価値観も自分そのものではないのですが、その価値観を持っていると、その価値観が自分の一部であるように思うものです。
ですから、衣装にしても価値観にしても、褒められると自分が褒められたように思うし、けなされると自分がけなされたように感じるのです。
でも、どちらも自分ではないのです。