洗脳を解く その2
まだ世の中をよく知らない子供たちに、いろんなことを教えるのを、教育と呼んでいます。
字の如く、教え育てるわけですね。
幼い子供の教育は、まずは家庭で行われます。
それから、保育園や幼稚園などでも行います。
そのあとは、小学校、中学校と続き、大半の子供たちは高校へと進んで、そこでも教育を受けます。
年齢が増えるに従って、教える内容が変わって行きます。
初めは物事を理解したり、生活に困らないようにするための教育ですが、子供の思考能力の発達に伴って、学問を教えるようになります。
生まれたばかりの子供は、何も知りませんから、頭の中は真っ白な状態です。
そこへ、まずは家族から教えられるわけですが、基本は愛情です。
愛情があるから、親子や家族の間に信頼感が生まれ、子供は家族の真似をしながら、いろんなことを自ら吸収して行くのです。
保育園や幼稚園でも、子供が大好きな先生たちが、子供のことを想い、子供を楽しませながら、いろんなことを教えます。
子供も先生方を信頼して、ここでもいろんなことを吸収します。
ところが、小学校へ上がると様子が違って来ます。
ここでは学習が強制に変わります。
先生が子供好きであっても、上からの指示に従わなければなりません。
子供たちは言われたとおりの勉強をさせられ、点数が悪いと叱られます。
学年が上がるに従い、教える内容が高度になりますので、ついて行けない子供は、どんどん取り残されてしまいます。
この教育ですが、いったい誰のためにしているのでしょうか。
本当に、その子供たちのためだと言えるのでしょうか。
洗脳は、誰かを支配するために行います。
植え込まれた価値観を疑う力は、削がれています。
そのため、洗脳された者は、自分でその価値観を選んでいると信じてはいますが、どうしてそれがいいのかは、よく理解できていません。
自分で選んだのであれば、状況に応じて、自分で変更することができます。
しかし洗脳されていると、その価値観から抜け出すことができないのです。
今の学校教育は、いい大学に進んで、いい就職先を見つけるためにあると言えます。
学問の面白さを、子供たちに教えるためのものとは言えません。
子供たちは、何の疑いもなく受験競争に参加させられ、競争に負ける子供は、自分の人生をあきらめてしまいます。
すり込まれた価値観で、自分を判断し、自分には価値がないと思い込むのです。
本当は、すごい価値があるのに、そう思ってしまうのです。
これは、ゆがんだ価値観です。
この価値観で得をする者が、社会の上に立てるようになっています。
言い換えれば、社会を牛耳ろうとする者にとって、都合のいい価値観なのです。
子供のための価値観ではありません。
こうして自分に自信をなくした子供は、社会に出ると、大人の言いなりになってしまいます。
そこが環境のよい所であればいいのですが、ブラック企業などであれば、死ぬまでこき使われることになるでしょう。
学校の成績がよかった者たちも、結局は自分で道を切り開く教育は受けていませんから、社会に出ると、やはりいいように使われてしまうことが多いと思います。
勉強ができる者も、そうでない者も、結局はうまく利用されるようになっているのです。
今の学校教育は、そういう社会システムを維持するために、あると言っても過言ではないでしょう。
これは、はっきり言って洗脳です。
学問を教えるという形を取りながら、競争社会に取り込むための準備をしているのです。
競争社会が当たり前のことであり、そこを勝ち抜くことが人生だと、教え込んでいるのです。
これでは本当の教育とは言えないでしょう。