不完全な完全 その2
世の中には、自分さえよければ他の者がどうなっても構わないという、生き方をする人が少なくありません。
その元となっているのが、人間は地球上で最も優れた存在だという、とても思い上がった考え方です。
最も優れているものは、他の存在に対して、何をしても許される。
他の存在は、最も優れているものに利用されるためにある。
この思い上がりが、自然破壊や環境破壊を引き起こすのです。
このような考え方が、人間同士にも適用されると、自分勝手な行為となるわけです。
自分さえよければ、他の人たちがどうなったって気にしません。
お金を儲けることばかり考える企業は、どんなきれいごとを口にしても、この考えを元に動いています。
従業員や消費者のことなど、本気で考えてはいません。
個人的には、多くの人が自分は他の人の迷惑を考えている、と思っているでしょう。
でも実際は、世の中で苦しんでいる人たちに、ほとんど目を向けていないことも、少なくないと思います。
誰もが大なり小なりの傲慢さを持ち合わせています。
その傲慢さは、他人と自分を比較する競争社会を肯定し、何の疑いもなく受け入れてしまいます。
その結果、みんなが平和で楽しく暮らせればいいのですが、そういうことにはなりません。
勝ち組負け組という言葉に表されるように、笑う者がいれば泣く者もいるのです。
それが競争社会です。
今、笑っている者も、一生笑い続けていられるかというと、そうではありません。
ちょっと油断すると、あっと言う間に負け組に蹴落とされてしまいます。
笑ってはいても、心の底から笑う余裕などないのです。
ですから、恵まれた状況にいても、もっともっとと新たなものを求めようとするのです。
また、知らぬ間に競争社会に組み込まれて、自分が思うように動けなくなった人は、自分が不完全な人間だと受け止めてしまいがちになります。
お金がないとか、学歴がないとか、資格がないとか、才能がないとか、競争に勝てる人が持っているようなものが、自分には何一つないと嘆き、人生を悲観したくなります。
何をやってもうまく行きそうにない自分には、何の価値もないと考えてしまいます。
でも、それは正しい判断ではありません。
自分は完全ではないと、思い込まされているだけです。
そうすることで得をする人が、この社会には大勢います。
その人たちが、自分に都合のいい価値観を広めて、みんなの心にすり込んでいるのです。
逆の価値観で考えてみましょう。
お金がなくても、一人で生きて行けることこそが、人間として最高だとします。
そうなると、これまで社会を牛耳っていた人たちのほとんどが、最低の人間になるでしょう。
世の中に広まっている価値観なんて、そんなものなのです。
本気で信じ込んで、それで自分を追い詰めるなんて、馬鹿げたことです。
世界に完全というものは、存在しません。
完全でないからこそ、一人一人が違っていられるのですし、完全でないからこそ、進歩ができるのです。
その不完全さこそが、本当の意味での完全なのです。
つまり、あなたはあなたのままでいいのです。
誰に合わせる必要もありません。
自分の好きなように暮らしていけばいいのです。
あれがないと生きて行けない、これがないとだめだ、というのは妄想です。
そう思い込むのではなく、自分は何でもできると考え、とにかく行動を取ることです。
そうすれば、必ず道は開けるでしょう。