苦境はチャンス その2
苦境をチャンスに変えるためには、何が苦境を作りだしているのかを、見極める必要があります。
たとえば、世界的に問題となっている新型コロナウィルスですが、やはり一番怖いのは、これに感染して死んでしまったり、重い後遺症が残る人がいるということでしょう。
また、恐ろしい感染症ということで、感染したら隔離され、入院した患者は面会が許されません。
もし死んでしまえば、家族が最後の別れをできずに、そのまま火葬されてしまい、戻って来た時は骨になっているという状況です。
それでも今は、病院によっては感染予防の措置を取りながら、家族と最後のお別れをさせてくれる所もあるようです。
でも、全ての病院ということではありません。
ところが、それだけ恐ろしい感染症のはずなのに、マスクをしているとは言え、多くの人たちが普通に仕事に出かけ、イベントや旅行に多くの人が出かけるようになりました。
感染者数は減って来ているとは言っても、かつて緊急宣言が出された頃と比べると、とても高い数字が続いています。
それでもみんなが自由に動いているのは、専門家たちが騒いでいるほどには、新型コロナが脅威には思われなくなっているということでしょう。
それが現実なのですが、未だに恐ろしい怪物というイメージを捨てきれない専門家たちは、重症になった人たちを引き合いに出し、自分たちの言い分を繰り返しています。
でも、そこまで恐ろしい病気であるのなら、今の状況では、かなりの人たちが死んだり苦しんだりしているはずです。
また、ワクチンについても、幼い子供たちにまで推奨されていますが、子供たちがコロナウィルスで重症化することは、ほとんどありません。
それなのにワクチンを勧めるのは、子供がお年寄りに感染させないためだと言います。
しかし、一方ではワクチンは感染を防ぐものではなく、その人自身が感染した時に重症化するのを、予防するためだといいます。
そうであるなら、子供たちがワクチンをする必要はありませんし、旅行のキャンペーンなどで、ワクチン証明書を提出するのは、意味がないということです。
ところが、この矛盾について、政府も専門家もテレビのコメンテーターも誰も指摘をしてくれません。
結局は、一人一人が自分で考えて、自分で判断するしかないということです。
また、これからの行政を誰にしてもらうかということも、真剣に考えねばなりませんし、具合が悪くなった時にかかる病院も、コロナ騒ぎの時の病院の姿を見て判断すればいいと思います。
コロナウィルスによって、いろんな問題が引き起こされているかのように言われていますが、それは間違いです。
本来、それぞれの立場にある人々が、普段から責任と熱意を持った仕事をしていれば、コロナ騒ぎはここまで大きくならなかったでしょう。
死ぬかどうかということについても、人は必ず死ぬわけであり、ことさらコロナばかりを恐れるというのは、馬鹿げたことです。
具合が悪くなれば、すぐに病院で薬をもらったり、治療をしてもらうことを考えますね。
でも、そうではなく、自分の体力を上げる暮らしをすることで、コロナに感染しない、感染しても大したことにならない、という状態にするべきなのです。
また、死についても、普段から死とは何なのかという、哲学的な問いかけを持ち続けるべきです。
考えたってわからないというのは、自分の人生に対して、無責任な態度です。
自分の人生を満足が行くように過ごしたいのであれば、必ず自分が関わる死について、自分なりに考えて、自分なりの答えを持っておくことが、とても大切なのです。
これは行政や医療の問題ではなく、私たち一人一人の問題です。
自分が解決するべき問題を放置しておいて、何かあった時に、それを他の何かのせいにするのは、間違っていますし、何の解決にもなりません。
学校の問題にしても、保育所の問題にしても、職場環境の問題にしても、コロナはすでにある問題を、顕わにしただけです。
コロナがそれらの問題を生み出したわけではないのです。
そういう様々な問題を、一つ一つ解決していけば、新たな感染症が現れたとしても、大した問題にはならないでしょう。
しかも、それだけではなく、私たちにとって本当に暮らしやすい、いい世の中になっているはずです。
苦境をチャンスに変えるとは、このようなことなのです。