何故戦うのか その3
体の免疫細胞が、体の環境を守ろうとするように、人間は我が身を守ろうとしますし、自分の暮らしの安定を維持しようと努めます。
自分に危害を加えようとする者がいれば、逃げるなり戦うなりして対応します。
暮らしを守るためにお金を稼ぎますし、災害に遭えば避難します。
自分以外に大切な人がいたら、やはりその人を含めて、同じような行動を取るでしょう。
大切な家族や恋人、知人や仲間を守るため、我がことのようにいろいろ動きますし、場合によっては、我が身を犠牲にしてでも、大切な人を護ろうとします。
それは何故でしょうか。
それは大切な人間を自分と同等か、それ以上の存在として受け止めているからです。
見かけ上、家族や友人、仲間がいても、その人が普段から孤独で周囲とのつながりを感じていなければ、我が身を犠牲にしてでも、その人たちのために動くということはしません。
動くのは、相手がそれなりに大切な人だからであって、大切でなければ動きません。
家族が誰かに攻撃されれば、通常は家族を護ろうと、相手と戦うでしょう。
しかし、家族との関係が悪くて、どうなってもいいと思うような家族であれば、誰かが他人から攻撃されたところで、本気で助けようとはしないと思います。
つまり、自分でない者であっても、その人のことを自分と同じように受け止めていたならば、自分と同じように、その人のことを大切にします。
もちろん、その人と争うことなんてありません。
全くの他人と争う場合、その相手のことは、自分と同じだとは思わないものです。
たとえその相手が死のうが、知ったこっちゃないという感じです。
ところが、その相手が実は自分と同じような境遇にあり、自分と同じような悩みを抱えていたとわかれば、状況は変わります。
また、その相手が自分にとって大切な人の恩人であったとしても、やはり状況は変わります。
どうでもいいと思っていた相手に、親近感を覚えて、大切にしたいという気持ちが起こります。
体の免疫細胞が相手を攻撃する場合、その相手が体を構成する仲間ではないと、認識しています。
仲間だと認識していれば、本当は外敵であっても、免疫細胞は攻撃をしません。
自分と同じ仲間だと、自分の家族なんだと、認識できるかどうかがポイントです。
人間が争いを起こす場合も、同じことが言えます。
初めて出会う人であっても、相手を自分の仲間や家族と同じように見ることができれば、そこに争いは生じません。
争いの原因は、自分と相手を同じように見られるかどうか、というところにあるのです。