それぞれがするべきこと その3
自分はいったい何がしたいのだろう。
どうすることが自分にとって幸せなのだろう。
そんなことを考えても、答えは見つかりません。
何故なら、その答えはぼんやりしたものであって、具体的な形を持ったものではないからです。
何がしたいのか、何が幸せなのか。
それは具体的にこうですよ、と決めつけたものではありません。
決めつけてしまうと、それ以外のことに喜びを見つけられなくなります。
また、決めつけたことができなくなれば、人生は終わりになってしまいます。
具体的な形は、その時の状況に応じて、臨機応変に決めればいいのです。
それが都合が悪ければ、別の形に変えるだけのことです。
見た目が変わっても、中身は同じです。
それが自分が求めているものが、ぼんやりとしている理由です。
ですから、こうじゃないといけないという決めつけた考え方は、一切棄てたほうがいいでしょう。
たとえば、大学を出ないとだめだ、お金を稼がなければだめだ、英語が話せなければだめだ、資格がなければだめだ、仲間がいなければだめだ、注目がなければだめだ、若くなければだめだ、などと言っているうちは、それこそだめです。
何をやってもいいのです。
お金があるならお金を使えばいいし、お金がなければ、お金がいらない方法を探せばいいのです。
大変に見える作業が必要であったとしても、その先に自分が望んでいるものがあるとわかっていれば、疲れはしても苦にはならないでしょう。
誰かに褒めてもらおうと思う必要はありません。
自分が満足することを、追い求めればいいのです。
他人と自分は価値観も基準も違います。
そうでなければ、自分が自分である意味がなくなってしまいます。
それでも、他人を思いやり、他人に感謝する気持ちを持っていれば、自ずと周囲が認めてくれるようになるでしょう。
そんなつもりがなかったとしても、みんなが目を向けてくれることになるのです。
自分がいいなと思ったことを、とことん楽しんで没頭するようになれば、自分に本当に必要なものが何であるのかが、わかるでしょう。
それはお金や物質的な豊かさではないはずです。
みんな見た目に違うものを、追い求めるようになるでしょうが、共通しているものがあります。
それは自由と喜びと愛です。