本当にあるのは心だけ その4
様々な意識が創り出しているのが、現実世界なのだとすると、それは様々な意識が集まった集合意識が見ている夢が、現実世界だと言うことができるでしょう。
そこには人間の集合意識だけでなく、他の生き物たちの集合意識も関わっていますし、山や海などの意識、地球や宇宙の意識も関わっていると言えるのです。
ですから、誰かが亡くなっても、この世界が失われることはありませんし、私たちが全く知らない宇宙の遠い所でも、星々の活動や、その星で暮らす生き物たちの活動というものが、あるわけです。
ただ、全体的な集合意識が選んだ夢の中でも、部分的な集合意識が認識している世界は、様々でしょう。
同じ世界に存在していながら、人間と動物や植物、昆虫や魚などは、全く別の世界を認識しているはずです。
ただ、互いの存在を認め、心の交流を行うことは可能です。
人間の世界について言えば、人間が認識できる現実世界は、いろんな意味で、人間が知覚できる範囲に限られます。
行動範囲が広がれば、その分だけ人間の世界観も広がります。
世界についての知識が増えれば、それもまた人間の世界観を広げます。
五感を超えた感覚を手に入れれば、人間の世界観はがらりと変わるでしょう。
ところで、個人が見る夢の世界は様々です。
場面が突然変わることもありますし、大人だと思っていたら、いつの間にか子供になっていることもあります。
それぞれを一つの世界だと考えたなら、一人の心の中には、無数の世界が存在しているということになります。
そして、夢を見るというのは、どの世界に意識を合わせるのか、ということになるのです。
不安を抱えていれば、怖い夢を選んでしまいますし、楽しい気分でいれば、明るい夢を選ぶのです。
同じように考えると、私たちが現実だと受け止めている世界も、人間の集合意識の中にある、一つの世界に過ぎないのかもしれません。
たくさんある世界の中で、人間の集合意識がどこに焦点を合わせるかで、人間が体験する現実世界が、様々に変化すると言えます。
正しくは、変化するというよりも、別の世界に意識を合わせるのですね。
ライブラリーにある数え切れない映画の中から、どれを選んで、その中の世界に浸るのか、という感じです。
お互いを信用しない世界を選べば、争いばかりが起こるでしょう。
お互いを信じて愛し合う世界を選べば、そこには喜びだけが存在するのです。
集合意識がどの世界を選ぶのかで、私たちが体験する世界は違って来ます。
集合意識が争いよりも、信頼し合うことを望むようになれば、世界は争いの世界から、信頼の世界へシフトするのです。
それは争いから信頼へと変化したように見えますが、実際は争いの世界から、信頼の世界へ、意識の焦点を変えたということですね。
今の時点では似ているけれど、それぞれの世界の結末は異なるわけです。
集合意識が選ぶ世界を変えても、違う世界を選んだ時点では、どちらの世界もそっくりなので、私たちは世界がシフトしたとは思わず、世界が変化したと受け止めるのです。