商いと暮らし博物館
内子の「商いと暮らし博物館」を訪ねて来ました。
ここは明治創業の薬商「佐野薬局」の建物と敷地を、内子町が購入して昔の暮らしを展示したものです。
建物の所々には喋る人形が設置され、大正10年(1921年)頃の薬屋さんの暮らしが、再現されています。
佐野薬局創業の前は、ここで何をしていたのかは、説明がありません。
上の写真の左側の障子が閉まっている部分と、その上の二階は江戸時代の物だそうで、何かの商いをしていたと思われます。
佐野薬局が創業してからは、左側の障子の部分は、薬の調合室として使われていたようです。
一階の中央から右側は、商品の売り場です。
家人と使用人の区別は、きっちりとなされていて、見ていてちょっと痛々しく思います。
当時、白米を食べるというのは、かなりの贅沢だったそうです。
とは言っても、今と比べると、お金持ちの割には、かなり質素な食事ですね。
朝と昼は、このようにご飯と味噌汁と漬け物ぐらいだったようですが、夕食にはここに煮物などが加わったそうです。
この家では、家人と使用人が食事をしている、茶の間の奥に台所があります。
江戸時代にはこの台所はなく、手前の茶の間の脇にある土間に、台所があったそうです。
写真の女中が働いている台所は、明治時代に建て増されたものです。
上の写真は明治に建て増された部分です。
主人夫婦の寝室の向こうには、商品の売り場があります。
この家には、当時まだ珍しかった電話があり、裕福さを物語っています。
客間の隣にある階段は、建て増された部分の階段です。
上に上がると、大広間になっています。
大広間の奥には、古い方の建物の二階への出入り口があります。
古い方の二階は板の間になっています。
ここには薬の保管場所と、使用人の寝場所を兼ねた所です。
使用人には畳二枚だけが敷かれています。
しかし、全ての商家が使用人のために、畳を用意したとは限らないと思います。
ここは裕福な店なので、それぐらいの余裕があったのだと思われます。
上の写真の右側に、ちらりと襖と畳が見えますが、これはここのご隠居の部屋です。
※使用人と同じ空間に、隠居の部屋があるというのは、何だか妙な感じですね。
スペースが限られているので、仕方がないことなのでしょうが、ご隠居が足腰が弱ったり、病気になったりすると、一人で階段を上り下りできなくなると思います。
そんな時にはどうしたのだろうかと、つい考えてしまいます。
便所にも行けないでしょうから、本人も大変でしょうが、世話をする人も大変だったでしょうね。
建て増した方の二階は、元の二階よりも少し高く作られています。
恐らくですが、客をもてなしたり宴会を開く広間と、使用人が使う仕事場を、同じ高さにはできないということでしょう。
板の間から降りて来ると、茶の間の隣にある、使用人の部屋に出ます。
写真の階段の向こうは、薬の調合室ですが、江戸時代にはこの調合室が店の売り場に、なっていたのでしょう。
商いと暮らし博物館を、ざっと紹介しました。
明治や大正の商家の暮らしを、のぞき見した気分になれたでしょうか。
ちょっとタイムスリップしたような気になれますから、内子を訪れる機会がある方は、ぜひここをのぞいてみて下さい。