> 悩まれている方へ > 幸せへの道しるべ > 恥ずかしいという気持ち

恥ずかしいという気持ち

この記事は4で読めます。
 ※Bruno Marques DesignerさんによるPixabayからの画像です。

他人の目を気にする時、私たちは気恥ずかしさを感じています。

恥ずかしいという想いがあると、私たちは目立たないようにしようとします。

何か言うべき時でも喋りません。

何かをするべき時にも、じっとしています。

時には、それによって大切な人が、傷つくようなことがあっても、何も言えず、何もできないということがあります。

あとでそれを反省したり、後悔しても、どうしようもありません。

 ※SAIYED IRFAN AさんによるPixabayからの画像 です。

恥ずかしいと思う時、自分で自分を低い存在と見なしています。

他の人とは違う存在、人から馬鹿にされる存在、人に嘲笑される存在、と見ているのです。

そんなのは嫌だから、そんな自分を恥と思い、目立たないようにするのです。

だけど、実際に他人が自分をどのように見ているのかは、わからないものです。

明らかに馬鹿にされたり、白い目で見られるのでなければ、案外何とも思っていないかもしれません。

その場合、恥ずかしいという気持ちは、一人相撲であり、勝手な独りよがりということになるでしょう。

だけど、本当は馬鹿にされるかもしれないし、それがわからない以上、じっとしている方が得策だ、と考えたくなるかもしれませんね。

仮に、馬鹿にされるのだとしても、言うべき時に言うことを言うのは、大切なことですし、やるべきことをやるのは、とても重要です。

それらは自分の人生のものであって、他人のものではありません。

自分の人生をどうするのかは、自分の勝手であって、他人にとやかく言われる筋合いはないのです。

とやかく言う人がいたら、放って置きましょう。

笑いたければ、笑わせておけばいいし、馬鹿にしたければ、馬鹿にさせていればいいのです。

その結果、あなたが好きなことを言い、好きなことをやって、楽しい人生を過ごしたならば、馬鹿にしていた人たちは、考え方が変わるでしょう。

あなたを笑ったことで、恥じ入るに違いありません。

でも、彼らがどのように変化するかも、あなたには関係のないことです。

たとえば、好きな人に対して、好意を示すことが恥ずかしいと思って、知らんぷりをすれば、きっと深く後悔するでしょう。

誰かに、あいつのことが好きなのかと言われて、何であんなやつなんか、なんて真逆のことを言ってしまうと大変です。

その言葉が、好きな人の耳に届き、その人を傷つけてしまうに違いありません。

 ※acworksさんによる写真ACからの画像です。

大切な人を傷つけるぐらいなら、自分が恥をかいた方がいいと思いませんか。

わざわざ他人がやらないような、無謀なことをしてかく恥とは違います。

そういう恥は、自信のなさの結果ではなく、単なる思考能力の欠如の結果です。

ここで言う恥というのは、自分を低く見ることによる、自信のなさに起因したものです。

自分に自信がなくても、好きな人を傷つけないために、恥をかく覚悟をすれば、どうってことありません。

それに、自分の気持ちに正直に生きていれば、恥をかいたと思うことはありません。

正直に生きることに、堂々としていればいいのです。

自分の想いに正直に生きること。

これは立派なことであり、また自然なことであり、これからの社会で求められることです。

こんなことをすると恥をかくかもと思っても、自分の好奇心や興味が、そちらを向いているのであれば、思い切ってそちらへ一歩踏み出して下さい。

恥ずかしいという想いよりも、喜びの気持ちの方が、勝るに違いありません。

自分らしくいることの喜びを、知ってしまえば、恥ずかしいという想いは、消えてなくなるでしょう。