四次元世界
時間というものが、何なのか、昔からいろいろ議論はあります。
でも、本当のところは、よくわかっていません。
一般的には、過去から現在を経て、未来へと進んで行く流れを、時間と言うのではないでしょうか。
そして、過去から現在に至る時の流れを、歴史と呼んでいるのです。
古い記録や遺跡、あるいは化石などから、過去にも人間や他の生き物たちが、確かに存在していたと、私たちは理解します。
そこにロマンを感じ、タイムマシンがあれば、そんな過去をのぞいてみたいと望みます。
人間や地球の未来がどうなっているのか、それも見てみたいですよね。
タイムマシンで行けるのなら、行ってみたいと思う人は多いでしょう。
だけど、私たちにとって、確かに存在している現実とは、今この瞬間だけです。
この瞬間と言っている間に、次の瞬間が現在になっています。
そして、さっきの現在はすでに過去になっているのです。
過去はどこへ行ってしまったのでしょう?
私たちに認識できないだけで、今もどこかに存在しているのでしょうか。
あるいは、消えてなくなってしまうのでしょうか。
それに、未来はどこから来るのでしょう?
いったい、誰が次の瞬間の未来を、決めているのでしょうか。
現れるということは、未来は見えていないだけで、すでに存在しているのでしょうか。
時間というものについて考えると、こんな疑問が出て来ます。
でも、結局わからないから、大概の方は考えるのをやめてしまいます。
それでも、四次元という言葉に出会うと、再び時間が登場します。
何故なら、時間軸が四次元世界の一つの要素だからです。
三次元というのは、縦・横・高さの三方向でできた、立体空間のことです。
三方向の軸があるから、三次元です。
そこに、もう一つの軸を想定した世界が四次元です。
そして、このもう一つの軸というのが、時間軸です。
零次元は点です。
一次元は線です。
二次元は面です。
そして、三次元は立体です。
零次元の存在が認識できるのは、一点だけの情報です。
この一点の情報が、時間と共に変化するとしましょう。
それをつなぎ合わせると、線になります。
一次元ですね。
この線は、零次元である点の移動方向と重なります。
この移動方向を決める軸が、零次元にとっての時間軸です。
一次元の存在が認識できるのは、線上の情報だけです。
時間と共に変化する一次元の情報を、並べて行くと面になります。
二次元ですね。
この並べる方向を決める軸が、一次元にとっての時間軸です。
二次元の存在が認識できるのは、面上の情報だけです。
同じように二次元の情報を、時間的に重ねて行くと、立体ができます。
三次元ですね。
この時の、面を重ねる方向を決める軸が、二次元にとっての時間軸です。
同様に、三次元の瞬間瞬間の情報を、時間軸に沿って並べます。
想像しにくいでしょうけど、それが四次元です。
たとえば、半径8cm の円盤の上に、外側から中心に向かって、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の、直径1cmの円を掻き込みます。
赤は中心から7~8cm、橙は中心から6~7cm、黄は中心から5~6cm、緑は中心から4~5cm、青は中心から3~4cm、藍は中心から2~3cm、紫は中心から1~2cmの所です。
七つの円は半径に沿って、一直線に並べる必要はありません。
上図のように、中心から見て、てんでばらばらの方向で構いません。
この円盤をゆっくり回転させると、七つの点が動いているのがわかります。
一つ一つの点が、ちゃんと認識できるでしょう。
しかし、円盤を高速で回転させると、どうでしょうか。
一瞬一瞬の点の位置がわからなくなって、全ての点の位置が重なって見えますよね。
つまり、丸い円盤状の虹が、そこに現れるはずです。
四次元的に観察すれば、どんなにゆっくり、円盤が回転していたとしても、これと同じような円盤状の虹が見えるでしょう。
四次元では、三次元での時間軸上の情報が、一度に認識できるからです。
庭を犬が走り回っているとします。
その様子を四次元的に見たとすれば、全ての瞬間の犬の姿が重なって見えるでしょう。
犬が動きを止めて、じっとしていない限り、犬の色が作った線状の模様が、庭を埋め尽くしていると思います。
三次元の感覚では、それが何なのかは、さっぱりわからないでしょう。
でも、四次元の感覚では、犬が庭を走っているのだとわかるわけです。
ただし、私たちが四次元の存在であった場合、感覚機能が三次元とは異なる可能性があります。
今の説明は、あくまでも私たちが知る、視覚での説明です。
四次元では、別の感覚で状況を、認識しているのかも知れません。
そうだとすれば、私の今の説明は不適切です。
でも、いずれにしても四次元世界の様子など、三次元にいてはわからないと思います。
ただ理解できるのは、四次元世界では、三次元世界での時間軸に沿った情報が、同時に全てを認識できるということです。
また、四次元には四次元の時間軸というものがあるでしょう。
その時間軸を考慮すれば、五次元世界の存在を、知ることができるはずです。
三次元の私たちには、想像すらできないことですけどね。
話を戻しますと、四次元では三次元で言うところの、過去や未来を同時に認識できるのです。
打ち上げたロケットが、無事に飛ぶのか、途中で落ちるのかが、一目でわかるでしょう。
これから入る交差点に、信号無視の車が突っ込んで来るのも、一瞬でわかります。
はらはらするサッカーの試合も、その場で勝敗を知るでしょう。
原因があれば、同時に結果も出ます。
疑問は、すぐに答えとなります。
望みと現実は、同じ意味になるでしょう。
映画を観ようと思った途端、ストーリーも結末も、わかってしまいます。
ジェットコースターに乗った瞬間、ジェットコースターは終わります。
サプライズの誕生日パーティーをしようとしても、サプライズになりません。
何もかもわかっているようで、面白くないように感じるかも知れませんね。
でも、四次元世界にも時間軸があるのであれば、四次元世界なりの過去や未来があるでしょう。
ですから、四次元には四次元なりの、好奇心を刺激する楽しみ方が、あると思います。
四次元世界がどのようなものなのか、その具体的な様子はわかりません。
でも言えることは、時間軸がある以上、私たちにとっての過去や未来は、この瞬間も存在しているということです。
私たちが認識できないだけのことで、全ての時間は同時に存在しているのです。
私たちは、すでに存在している情報の塊を、時間軸に沿って順番に体験しているだけなのです。
では、運命というものは、決まっているのでしょうか。
それは、時間軸がたった一本しか、存在していない場合のことです。
情報の塊の上を走る時間軸は、途中に何度も、分岐点があるかも知れません。
それに、同じ情報の塊の上に、全く別の時間軸があるかも知れないのです。
異世界、あるいはパラレルワールドですね。
SF小説の中での話だけでなく、実際にそういう世界が存在している可能性は、十分にあると思います。
もし違う時間軸との接点があれば、知らない間に、知らない世界へ、迷い込んでしまうかも。
世界とは、考えれば考えるほど、不思議で面白いものですね。