大好きなお姉ちゃん
あれから何日かあとに、ぼくはまたお姉ちゃんに会いに、お寺へ行った。
ずっとお母さんに会えないさびしさも、お姉ちゃんといっしょにいると忘れられる。だけど、お姉ちゃんに会いに来ましただなんて、はずかしくて言えない。だから、お坊さんを見かけたけど、声をかけることができなかった。
それで、ぼくはお姉ちゃんを探しながら、お寺の境内をうろうろと歩きまわった。そうしながら、ぼくはお母さんのことも考えた。
お母さん、今ごろどうしているんだろう。お父さんも仕事がいそがしいみたいだから、あんまり会いにいけないだろうな。だれもお見舞いが来なくて一人きりだなんて、お母さん、さびしくないのかな。お腹の赤ちゃんも元気なんだろうか。
一人ぼっちのお母さんの姿が目にうかぶと、ぼくは悲しくなった。気持ちが沈んだぼくは、早くお姉ちゃんに会いたかった。だけど、お姉ちゃんは見つからない。まだ外には出て来てないのかな。
「お姉ちゃん、出て来てくれよぅ」
お寺の建物をながめながら、ぼくがつぶやいていると、誰かが後ろから、わっ!――と声を出して、ぼくの背中を押さえた。
びっくりしてふり返ると、お姉ちゃんが楽しそうに笑っていた。この前に見たときと同じ服装だ
「何だよ、おどかさないでよ。びっくりしたじゃないか」
「タカちゃん、あいかわらず、おくびょうだね。こないだも相当びっくりしたもんね」
おくびょうと言われてプライドがきずついたぼくは、どこにかくれていたのかと、口をとがらせて言った。
「べつにかくれたりしてないよ。ずっとそばにいたのに、タカちゃんが気づかなかっただけでしょ? あたし、またわざと知らんぷりされてるのかと思ってた」
「え? そうなの?」
あちこち探して、いないと思ったのに、ずっとそばにいただなんて。お姉ちゃんは忍者みたいだとぼくは思った。
「それで、今日はどうしたの? あたしに会いに来てくれたの?」
「え? いや、べつに、そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ、どういうわけ?」
ぼくが困って下を向くと、お姉ちゃんはおもしろそうに、アハハと笑った。
「正直に言いなさい。あたしに会いに来てくれたんでしょ?」
「うん」
ぼくが小声で返事をすると、お姉ちゃんは急にしおらしくなって、ありがとう――と言った。
「お姉ちゃん、うれしいな。ねえ、タカちゃん。いいものあげるから、こっちおいで」
お姉ちゃんはぼくの手を引っ張った。連れて行かれたのは、お寺の墓地だった。
ぼくが気味悪がるのなんて全然おかまいなしだ。お姉ちゃんは近くのお墓にそなえてあった大福もちを手に取ると、それを一つぼくにくれた。中に黒い豆が入ったやつだ。
だけど、これはお墓のおそなえだ。勝手に食べたらばちが当たっちゃう。
ぼくが大福を手に持ったまま食べないでいると、いいから食べなさいと、お姉ちゃんは言った。
「こんな物ね、このままにしておいたらだめになっちゃうから、食べた方がいいの」
「そんなこと言われたって食べられないよ。そんなの、どろぼうといっしょだもん」
「タカちゃんって、昔っから頭が固いよね。ほら、お姉ちゃんも食べるから。それならいいでしょ?」
大福もちは二つそなえてあった。そのうちの一つをぼくにくれたんだけど、お姉ちゃんは残りの緑の大福もちを手に取ると、おいしそうにほおばった。
「おいしいね。ほら、タカちゃんも食べなよ」
ぼくはしかたなく大福をかじった。それでぼくは思い出した。これはおばあちゃんに連れて行ってもらった、あのお店の大福もちだ。
「これ、ことぶき堂の大福もちだ!」
「よくわかったわね。タカちゃん、えらい!」
ほめてもらうほどでもないけど、それでもお姉ちゃんにほめられたらうれしかった。
パクパク大福を食べるぼくを見ながら、お姉ちゃんがたずねた。
「ねえ、タカちゃん。タカちゃんは大きくなったら、何がやりたい?」
「何がやりたいか? えっと、そうだな。何がいいかな」
そんなことは考えたことがなかった。だけど、聞かれたことには答えなくっちゃ。だから、ぼくはロボットを造りたいと言った。
「ロボット? 前もそんなこと言ってたよね。タカちゃん、ロボットが好きなんだね」
「前って?」
お姉ちゃんはぼくの声を聞いていないのか、一人でしゃべりつづけた。
「お姉ちゃん、タカちゃんが造ったロボット、見てみたかったな」
「見せてあげるよ。ぼく、絶対にロボットを造って、お姉ちゃんに見せてあげる」
「ほんとに? うれしいな」
お姉ちゃんはよろこんだけど、何だか少しさびしそうにも見えた。
「お姉ちゃんは何をするの?」
「あたしはね、タカちゃんに会えたから、もう十分なの。それよりタカちゃん、絶対にロボットを造ってね。お姉ちゃん、応援するからね」
お姉ちゃんは残っていた大福もちを食べてしまうと、お寺の建物の一つにぼくを連れて行った。ここは中に仏像が置かれてある所で、本堂っていうそうだ。
その本堂にはぐるりと縁側がある。ぼくたちは中の仏さまに手を合わせると、脇の縁側に腰を降ろした。すると、そこへお墓へ向かう人たちがやって来た。
あぁ、危なかったと、ぼくは胸をなで下ろした。もう少しでおそなえの大福もちを食べているのを、見られるところだったよ。
そのことをぼくが言うと、お姉ちゃんはくすくす笑って、ほんとだねと言った。
「もうちょっとで、タカちゃん、刑務所行きだったね」
「お姉ちゃんだって同罪だよ」
ぼくは口をとがらせたけど、すぐに笑った。お姉ちゃんといっしょだったら、少々悪いことだってやってもいいかな。お姉ちゃんの笑う顔を見ていると、そんな気持ちにさせられちゃう。
お姉ちゃんは笑うのをやめると、またお寺にやって来た人たちをながめながら言った。
「お盆になるとね、遠い所からいろんな人が戻って来るんだよ」
「ぼく、知ってるよ。みんな、そのころじゃないと動けないもんね」
大人はみんないそがしい。子供のような夏休みはないから、家族みんなで動けるのは、お正月とお盆とゴールデンウィークぐらいなものだ。
お姉ちゃんはにっこりほほえむと、タカちゃん、えらいねぇ――と言った。ぼくが照れ笑いをすると、お姉ちゃんは話を続けた。
「そうやって、みんなそれぞれの家に戻って行くんだけどね。中にはもう戻る家がない人もいるんだよ」
「ほんとに? でも、そうか。どんどんお年寄りばっかりになっちゃって、人がいなくなってるもんね」
「タカちゃん、ほんとに物知りだね。お姉ちゃん、鼻が高いよ」
本当のお姉ちゃんじゃないのに、こんなことを言ってくれるなんて。ぼくの方こそ、お姉ちゃんと知り合えたことがほこらしいよ。
ぼくはちょっとだけ笑ってたずねた。
「それで、もどって来たけど帰る家がなくなってる人は、どうすんの? すぐに元の所へもどっちゃうの?」
「みんな、帰る日は決まってるからね。だから、それまではそれぞれの家のお寺のお世話になるの」
「へぇ、そうなんだ。お寺って親切なんだね」
そんな人がたくさんいたら、お寺も大変だろうな。あとでお賽銭して、ぼくも少し協力してあげよう。そう話すと、お姉ちゃんは笑いながら、タカちゃんは優しいねって言ってくれた。
「みんな、お寺には迷惑かけないようにしてるんだけどね、たまぁに外から来た人に見つかっちゃって、おどろかれることもあるみたいだよ」
「なんで、こんなとこにこんなのがいるんだ!――て?」
そうそうと言って、お姉ちゃんはまた笑った。
「タカちゃんだって、お姉ちゃん見つけたときにおどろいたじゃない。あのときのタカちゃんのおどろきようったらなかったわ」
そのときのぼくの様子を思い出したようで、お姉ちゃんは一人で爆笑した。顔が熱くなったぼくは、笑うなよとお姉ちゃんに文句を言った。
「だって、しょうがないだろ? あのときも言ったけど、まさか、後ろからいきなりお姉ちゃんが現れるなんて、思わなかったんだもん」
「ごめんね。あたしも家に帰れないから、タカちゃんに会えてうれしかったのよ」
笑いすぎて出た涙をふきながら、お姉ちゃんは言った。その言葉は、ぼくをおどろかせた。
「え? そうなの? お姉ちゃん、家に帰れないの?」
「うん。だから、今はここにいるの」
てっきりこのお寺がお姉ちゃんの家だと思ってたけど、そうじゃなかったのか。お姉ちゃんには、何だかふくざつな事情があるみたいだ。ぼくはそのことを聞いてもいいのか迷いながらたずねた。
「……どうして帰れないの?」
「だってさ……」
お姉ちゃんは下を向きながら口をとがらせ、のばした足をぶらぶらさせた。
「もしかして、お父さんやお母さんと、うまく行ってないの?」
ぼくを見たお姉ちゃんはごまかすように笑うと、まあねと言った。
「ちょっと誤解されちゃったみたいだから」
「誤解って? もしかして、お姉ちゃんのこと、不良少女みたいに思ったってこと?」
「そんなとこかな」
お姉ちゃんは笑顔のままだったけど、やっぱり寂しそうだった。ぼくはお姉ちゃんに同情した。でもお姉ちゃんは、タカちゃんと会えたから平気だと言ってくれた。
「でも、どうしてそうなったの? ぼくだって、お父さんやお母さんと言い合ったりすることはあるけど、家にいられなくなるってことはないよ」
「それはそうよ。だって、タカちゃんはいい子だし、将来があるじゃない」
「それはお姉ちゃんだっていっしょだろ? そんなの不公平だよ」
お姉ちゃんは困ったように笑うと、将来か――と言った。
「あたしの将来ってあるのかな?」
「あるよ。そんなの当たり前じゃない」
お姉ちゃんはぼくを見ると、ありがと、タカちゃん――とほほえんだ。
「あたし、これまで自分がどうすればいいのか、わかんなかったの。だけど、タカちゃんに会えたから、やっと前を向いて進むことができそうだわ。ありがとね、タカちゃん」
ぼくなんかが何の役に立ったのか知らないけど、それが本当ならぼくもうれしい。
「これからどうすんの? 家に帰る?」
「家には帰らない。て言うか、帰れないの。でも、いつまでもこのまんまってわけにはいかないもんね」
続けて聞こうとしたぼくをだまらせるみたいに、お姉ちゃんはぼくに顔を近づけて言った。
「タカちゃん。これからもいろんなことがあるだろうけど、しっかり生きるんだよ。それでね、自分の夢をかなえるのよ」
急に変なことを言われて、ぼくは困った。
「ぼくの夢って?」
「ロボットを造るんでしょ? 生きて夢をかなえるって、すばらしいことなんだから。タカちゃんもがんばって、自分の夢のロボットを造るんだよ」
「……うん」
あいまいにうなずいたぼくに、お姉ちゃんは言った。
「タカちゃんには才能があるよ。お姉ちゃん、わかってる。だから、ちょっとぐらい大変なことがあってもね、夢をあきらめちゃいけないよ。わかった?」
うんとぼくがうなずくと、お姉ちゃんはうれしそうに笑った。その笑顔がとてもすてきだったので、ぼくは何だかはずかしくなってうつむいた。
でも下を向きながら横目で見ると、お姉ちゃんの顔は何だか悲しそうに見えた。
しばらくお姉ちゃんとおしゃべりをしたり、なぞなぞを言い合ったり、鬼ごっこをしたりして遊んだあと、ぼくはおじいちゃんたちの家にもどった。すると、おばあちゃんがぼくに手招きをした。
「お腹すいたろ? 大福もちを買って来たから、食べなさい」
「え? 大福?」
出されたのは、あの『ことぶき堂』の大福もちだ。これはきっと、おそなえを食べたのをちゃんと見てたぞと、神さまが言ってるのにちがいない。いや、お寺だから、神さまじゃなくて仏さまか。
何だか責められているみたいで、おいしいはずの大福がのどを通らない。何とかお茶で流しこんで食べたら、おばあちゃんがもう一つ、ぼくのお皿にのせた。
「おいしいだろ? えんりょしなくていいから、たんと食べなさい」
うえぇと思ったけど、おばあちゃんの横には、大福のパックがまだ三つもある。
「へぇ、ここがおまえの部屋か」
ぼくは好男の部屋の入り口に立って、部屋の中を見わたした。
ぼくの部屋の倍ほどの広さがあるその部屋の真ん中には、大きな戦車のプラモデルの箱が置かれていた。
部屋のすみにある机の上や、たなの上には、いろんな戦車のプラモデルがずらりとかざってある。どうやら好男は戦車が好きみたいだ。
ちなみに好男は、仲間といっしょにぼくにからんで来た、あのボスだ。お寺へ行こうとしていたぼくを見つけて、半分無理やりに自分の家へ連れて来たんだ。
この辺りのガキ大将に一目置かれているようで、ぼくは悪い気はしなかった。それでついて来たけど、好男の家はけっこう大きな家だったのでおどろいた。
聞けば、好男のお父さんは、機械の部品を作る会社の社長さんだそうだ。物を作る仕事だから、うちのお父さんがしていたのと同じような仕事なのだろう。
好男にお父さんの仕事を聞かれたぼくは、すぐに答えることができなかった。
だって、似たような仕事をしているのに、好男のお父さんは社長で、ぼくのお父さんは仕事をクビになったんだ。だから、よく知らないと言ってごまかした。
好男はお父さんの後をつぐらしい。自分が社長になったら、本物の戦車を造るんだと自慢げに言った。
それで、クラスのみんなにロボットのことを自慢したのを、ぼくは思い出した。ぼくは好男をうらやましく思いながら、ちょっと泣きそうになって横を向いた。
「ところでさ。おまえがオレと決闘したときだけど――」
好男は突然思い出したように言った。
「決闘って?」
きょとんとするぼくに好男は言った。
「ほら、こないだあそこの寺で、オレたち戦っただろ?」
「あれ、決闘だったの?」
思わずたずねると、好男はちょっとはずかしそうに笑いながら、そうだと言った。
「あのときさ、おまえ、だれもいない所に向かって話しかけてたよな。あれ、だれとしゃべってたんだ?」
こいつ、何言ってんだと、ぼくは思った。
「お姉ちゃんだよ。あそこにいたのに見えなかったの?」
「お姉ちゃんって、おまえの姉ちゃんか?」
「ちがうよ。あのお寺のお世話になってるお姉ちゃんだよ」
「あの寺の?」
好男は首をかしげて、そんな姉ちゃん、いたっけかなと言った。
「まあ、いいや。それであのとき、その姉ちゃんはどこにいたんだ? かくれる所なんかなかったと思うけど」
「どこにもかくれてないよ。ぼくの後ろにいたのに見えなかったの?」
「おまえの後ろ? おまえの後ろには、だれもいなかったぞ」
「そんなわけないだろ! お姉ちゃんは、ずっとぼくといっしょにいたんだから!」
好男は変な顔をして、ぼくを見た。
「おまえ、キツネかタヌキに化かされてたんじゃないのか」
「お姉ちゃんはキツネでもタヌキでもない! お姉ちゃんは人間だ!」
お姉ちゃんを侮辱されたみたいで、ぼくは腹が立った。
「ぼく、もう帰る」
「おい、おこったのか?」
ぼくは返事をしないで、好男の部屋を出た。お菓子を運んで来てくれていた好男のお母さんと、ろうかですれちがったけど、ぼくは頭だけ下げてそのまま家の外へ出た。
その足で、ぼくはお寺へ向かった。好男につかまりさえしなければ、ほんとは今ごろ、ぼくはお寺にいたはずだった。
ぼくは一人っ子だから兄弟がいない。だから、お姉ちゃんがどんなものなのかを知らない。でも、あのお姉ちゃんといっしょにいると、お姉ちゃんってこんな感じなんだろうなって思うんだ。温かくてやさしくて頼りになって、いつでも味方になってくれる。
あのお姉ちゃんは、ぼくにとっては本当のお姉ちゃんと同じだ。そのお姉ちゃんをばかにするようなやつは許さない。
いきどおりながらお寺の境内に入ると、ぼくはお姉ちゃんを探した。
お姉ちゃんはすぐに見つかった。境内には本堂とは別に、お坊さんたちが住んでいる建物がある。庫裏って言うんだって。その庫裏の玄関から、ちょうどお姉ちゃんが出て来たんだ。今日も緑色のスカートが、とてもまぶしい。
お姉ちゃんはぼくを見つけると、うれしそうに手をふった。ぼくはお姉ちゃんにかけ寄ると、そのままお姉ちゃんにしがみついた。
やわらかくて温かくって、ほんのりいい香りがする。どこがキツネだよ。どこがタヌキなんだ。あんな失礼なやつ、もう遊んでやらないからな。
「あらあら、どうしたの、今日は? 何かあったの?」
お姉ちゃんはそっと両手で、ぼくをだいてくれた。
ぼくはお姉ちゃんに顔を押しつけたまま、ずっといっしょにいたいと言った。でも、お姉ちゃんはぼくをだきながら、何も答えてくれなかった。
お姉ちゃんはぼくのことが好きじゃないのだろうか。心配になったぼくは、顔を上げてお姉ちゃんを見た。
お姉ちゃんは悲しそうな目で、ぼくをじっと見つめている。
ぼくはもう一度、お姉ちゃんとずっといっしょにいたいと言った。
「ありがとう、タカちゃん。お姉ちゃん、そんな風に言ってもらえるなんて思ってもみなかった……。でも、ごめんね。お姉ちゃんね、そろそろタカちゃんとお別れなの」
「え?」
ぼくは何も言えなかった。ただ、涙が勝手にポロポロこぼれた。その涙を見られるのがはずかしくて、ぼくはまたお姉ちゃんに顔を押しつけた。
「だって、ロボット、どうすんだよ。お別れしたら見てもらえないじゃないか」
ごめんねと言いながら、お姉ちゃんはぼくをだき続けてくれた。でも、お姉ちゃんも泣いていたんだろう。頭の上で、ときどき鼻をすする音が聞こえていた。