久美を追って
わたしは中村さんに駆け寄った。
「お願いします! わたしたちを佐田岬の灯台まで連れて行って下さい!」
「岬の灯台? 何の話ぜ、ほれは?」
「岬の灯台に久美がいるんです。日が沈むまでにそこへ行けなかったら、久美が……、久美が……」
わたしがまた泣き出すと中村さんは困惑して、何があったのかと兄貴に尋ねた。それで兄貴が事情を説明したけど、やっぱり中村さんも何を言ってるのかという顔を見せた。
だけど、中村さんに連れて行ってもらうしか方法がない。この軽トラックで運んでもらったなら、灯台まで二時間で行ける。ぎりぎりで久美を助けられるかもしれない。
「お願いします! お願いします! わたし、中村さんの言うこと何でも聞きますから、どうか、わたしたちを灯台まで運んでください!」
「そがぁ言われても、わしはまだ仕事が残っとるんよ。ほれ、後ろに荷物積んどろ? ほれをな、これから届けないけんのよ」
申し訳なさそうな中村さんに兄貴がたずねた。
「それは何ですか?」
「配達せんといけん物よ。配達行くやつが持って行くんを忘れよったんよ」
「じゃあ、それを届けたあとでもいいから、春花だけでも佐田岬の灯台まで運んでやってもらえませんか?」
「えぇ? これを届けたあとにか?」
「お願いします」
兄貴も必死になって頼み、わたしも一緒になって頼んだ。こうしている間にも、時間は刻一刻と過ぎて行く。
中村さんは何度も腕時計を見ながら、弱ったのぅ――と言った。
わたしは涙に濡れた目で、じっと中村さんを見つめた。中村さんはわたしの視線に耐えられなくなったようで、わかったわい――と言った。
「姉やんらと知り合うたんも何かの縁じゃろ。わしは縁を大事にする人間やけんな。岬まで運んだらええんじゃな?」
「信じてもらえたんですか?」
「信じたわけやないけんど、そがぁに真剣に頼まれたら、力貸さんわけにいくまい。ほんでも、ちぃと待ってくれよ。一応、職場に連絡しとかんといけんけんの」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
地獄に仏とはこのことだろう。わたしは感謝の気持ちでいっぱいだった。兄貴も喜びに顔を輝かせ、何度も中村さんに頭を下げた。
中村さんは照れながら職場に電話をし、急に熱が出て来てインフルエンザかもしれないから、荷物を届けるのはやめて、このまま病院へ行くと話していた。
電話を切った中村さんは笑顔を見せて、ほんなら行こわい――と言った。
軽トラックは後ろの荷台に荷物が載っているので、兄貴はわたしと一緒に助手席に乗せてもらった。と言っても、先に乗った兄貴の左足の上に、わたしの右のお尻を載せた格好で無理やり乗り込んだ形だ。それでもわたしが病気でやつれていなければ、きっと車のドアは閉まらなかっただろう。
本当はこんなことはしてはいけないと、わたしたちもわかっているし、中村さんもわかっている。だけど中村さんが時計を見て、悠長な走り方では間に合わないからと、兄貴にも助手席に乗るように言った。荷台に乗ったのでは危ないということらしい。
二人がぎゅうぎゅう詰めの状態だから、シートベルトも締められない。何かがあったら絶対に危険だし、警察に見つかったら捕まるのは間違いない。
「警察に捕まったら、ほれまでやけんの。そがぁならんよう祈っといてや!」
こんな状態なのに、中村さんはにこやかに言うと、軽トラックを発進させた。
軽トラックは海沿いの道をエンジンを唸らせながら走って行く。前をゆっくり走る車があると、中村さんは構わずその車を追い越した。
車体がガタガタ振動するので、車がこのままバラバラになってしまうんじゃないかと、わたしは心配になった。だけど兄貴はすっかり興奮してしまい、子供のようにはしゃいでいた。これは遊びじゃなくて、久美の命が懸かっていることなのに、何考えてんだか、まったく。
「オレ、ほんとだったら、今頃は中間テストの勉強をしているはずだったんです。それなのに、ここでこんなことしてるなんて信じらんないや!」
車の振動やエンジンの唸り声に負けないように、兄貴は大声で中村さんに話しかけた。
中村さんは笑いながら、お前は日本一の悪ガキだと言った。
「けんど、わしにしたかて、自分がこがぁなことしよるんが信じられんぜ。普通に考えたら、絶対にせんもんなぁ」
「中村さん、今日初めて会ったばかりのオレたちに、どうしてここまでしてくれるんですか?」
お前がそれを言うのかとばかりに、中村さんは横目でじろりと兄貴を見た。
「兄やんや姉やんが必死で頼むけん、仕事放っぽり出して兄やんらを運びよるんじゃろがな」
「それはそうなんですけど……、普通はどんなにお願いしたって、こんなこと引き受けてくれないじゃないですか。実際、さっきの家のおじさんたちには、全然相手にしてもらえなかったんです」
「まぁ、ほれはほうじゃろ。ほれが普通ぜ」
「でも、中村さんは引き受けてくれたじゃないですか。それはどうしてなんですか?」
ほうじゃなぁと中村さんは前を見ながら言った。
「さっきも言うたように、友だちのために東京から来た兄やんらが、あんだけ必死に頼んだいうんが一番の理由なけんど、わしはな不思議な話を信じる質なんよ」
「春花のことですか?」
兄貴がわたしを見ると、ほうよほうよと、中村さんも横目をちらりとわたしに向けた。
「さっきは仕事中やったけん、よしわかったとは言えなんだけんど、本音言うたら、兄やんらの話には大いに興味がそそられよったかい」
何だかうれしくなって顔を見交わすわたしたちに、中村さんは話を続けた。
「こがぁな話、テレビや雑誌じゃったらお目にかかることはあるけんど、自分の身近にゃあめったにないけんな。ほやけん、さっきのわしは大けな葛藤の中におったんぜ」
「佐田岬に行くべきか行かぬべきかってですか?」
兄貴が尋ねると、ほうよほうよと中村さんは言った。
「言うても、わしの中では答えは決まっとったがな」
「だったら、初めからそう言ってくれればよかったのに」
わたしが口を尖らせると、ほうもいくまいと中村さんは言った。
「一応、郵便局で雇てもろとる身やけんな。そがぁ簡単に仕事を抜けるわけにはいかんじゃろ? ほんでも、人の命が懸かっとるんじゃけん、知らんぷりはできまい。わしとしては職場への義理立てをした上で引き受けたわけよ」
「でも、オレたちが諦めてたら、どうしたんですか?」
「ほんときゃあ、お前ら友だちを見捨てるんか!――て活を入れとったぜ」
喋りながら中村さんは笑った。
兄貴はかなりの変わり者だけど、中村さんも相当な変わり者のようだ。でも、お陰でわたしたちは佐田岬まで運んでもらえる。変わり者万歳だ。
「ところで姉やんは、今回みたいな不思議なことはよくあるんかな」
急に話を振られて、わたしはうろたえた。
「え? それは……、よくではないんですけど……」
「よくではないけど、あるんか?」
はいとわたしがうなずくと、ほぉと中村さんは目を輝かせ、その話を聞かせて欲しいと言った。兄貴も驚いたような顔で、それは初耳だと言った。
わたしは風船たちのことを話そうかと思った。だけど、それは妄想だと言われるような気がしたので他の話をした。子供の頃にスーパーで迷子になったときの話や、久美の絵を描いたときの話、それと自分が生まれる前に母に会いに来たときの話だ。
中村さんは興味深げに話を聞いてくれた。でも、幼い妹を放ったらかしにしたのかと中村さんに言われた兄貴は、自分は妹とスーパーで遊んだ覚えはないとうそぶいた。
久美に描いた絵の話は、中村さんは驚いていたが、兄貴は先に聞いていたので、特に反応はなかった。だけど、生まれる前に母に会いに来たという話には、本で読んだのと同じだと兄貴は興奮して、中村さんにその本の説明をした。面白いことがあるもんぜと中村さんがうなずくと、他の連中はこんな話を馬鹿にすると兄貴は愚痴を言った。
中村さんは笑うと、そがぁなやつらは放っておけと言った。常識と言われることしか頭にない者たちは、自分で考えることができない可哀想なやつらだそうで、中村さんの意見には兄貴も強く同意した。
病院で見た久美の夢も、二枚舌などの声が聞こえたことを伏せて話すと、二人とも絶対にその夢は久美からのメッセージだと思うと言った。そして久美が佐田岬にいるという話も、絶対に間違いないと口を揃えて断言してくれた。
兄貴と中村さんの支持が得られたことはうれしかった。だけど、西に傾いた太陽を見ると不安が募った。
間に合うだろうかと心配すると、中村さんはわたしを励まし、さらにアクセルを強く踏んだ。
エンジンの唸りは悲鳴のように聞こえ、車体はさらにひどく振動した。もし何かにぶつかってしまえば、わたしたちの方が死んでしまう危険があった。さすがの兄貴も言葉が出せず、わたしを抱きかかえる腕がわたしを締めつけた。
わたしもとても怖かったけど、絶対助けに行くからねと、心の中で久美に念じ続けた。
しばらくすると軽トラックは海辺の道から山の道に入った。すると車が増えて来て、海辺の道にはほとんどなかった信号で、道路が少し混み始めて来た。
ただでも時間はぎりぎりなのに、前が詰まっているから中村さんもどうしようもない。軽トラックは勢いを失くして、ゆるゆる進んだ。わたしはいらいらし、兄貴もしきりに腕時計を確かめた。だけど、中村さんはこんなものだという顔だ。
それでも、しばらくして半島への道へ入ると、道路はスカスカになった。佐田岬へ向かう車はほとんどないようだ。元気を取り戻した軽トラックは再び唸りを上げ、武者震いを続けながら走り始めた。
車は山の中を走っているようだったが、時折きれいな海が眼下に広がった。兄貴は少しだけ感動の声を上げたけど、わたしには景色を眺めている余裕はなかった。
わたしが気にしているのは、正面に見える太陽だ。あの太陽が沈みきる前に灯台まで行き、そこにいる久美を捕まえなければならない。美しい夕日は命の砂時計のようだ。
兄貴が前方を指差して、あ――と言った。見ると、丘の上に風車があった。わたしはそれが久美がバスの中から見た風車ではないかと思った。だけど中村さんが言うには、風車があるのは一カ所じゃないらしい。それでもこの同じ道を久美が通ったに違いないと、わたしは確信した。
やがて軽トラックは海辺の町へ入った。ここは三崎町という所で、佐田岬半島の残りの部分がまだ西の方へ伸びている。太陽はかなり下がっていて、半島の丘陵に隠れそうだ。
心配するわたしに、あと三十分ほどで佐田岬の駐車場に着くと中村さんは言った。そのとき、突然サイレンが鳴った。
「うわっ、しもた。お巡りに見つかってしもた」
通り過ぎた交差点の陰に、ミニパトカーがいたようだ。わたしと兄貴の二人が助手席にいるのが見つかったらしい。
『そこの軽トラック、直ちに止まりなさい!』
マイクで喋る女性警察官の声が、後ろから攻撃を仕掛けるように飛んで来る。だけど、ここで止まったらおしまいだ。
わたしと兄貴は中村さんを見た。中村さんは困惑のいろが隠せない。それでも中村さんは心配するなと言った。
「前をふさがれん限り大丈夫ぜ。岬の駐車場までは絶対に運んじゃるけん」
「だけど、逃げたら中村さんの罪が重くなるんじゃ……」
兄貴が心配そうに言ったが、中村さんは平気な顔で応じた。
「人を犯罪者みたいに言いなや。軽トラの助手席に二人乗せたぎりの話じゃろが。あとでお巡りに捕まるんは一時の恥やが、今捕まって姉やんの友だちを救えんかったら、一生の恥ぜ」
何ていう人なんだろう。今日初めて会ったばかりなのに、わたしはこの中村さんという人の気概に頭が下がるばかりだった。
思えば、久美を救いたい一心で、普通じゃ誰もやらないようなことを始めたら、いろんな人が力を貸してくれた。トラックの運転手さんたちもそうだし、兄貴だってそうだ。みんな自分とは関係のないはずのことに、こんなに一生懸命になってくれる。
わたしは感激しながら、自分が不思議な力に導かれているような気がしていた。だから絶対に久美は大丈夫だという気持ちがあるけれど、夕日が沈むまでの時間はあまり残されていない。それを考えると、本当に大丈夫なのかと不安になった。
車が丘陵に近づくと、太陽は丘陵の陰に隠れて見えなくなった。でも西の空は茜色に染まっている。あの空を久美は灯台の近くから眺めているのだろう。だけど、夕日が沈んでしまったら――
泣きそうになるのをこらえながら、わたしは自分の想いが久美に届くよう願った。あの光の存在にも、どうか久美を助けて欲しいと頼み続けた。それでも不安なわたしは懐に仕舞った久美の手紙に手を当てた。手紙には、久美が泊まった部屋で見つけた、久美の髪の毛を挟んである。
わたしは髪の毛にもう一度、神さまの世界へ連れて行って欲しいとお願いした。久美の様子が知りたかったし、久美と一緒にいたかった。
だけど車はガタガタ揺れるし、後ろでは停車を求めるミニパトカーの大きな声が続いている。不安げな兄貴はそわそわしながら前を向いたり後ろを向いたりするから、そのたびにわたしは体を押されて気持ちを集中できない。
町を抜けると道が急に狭くなった。その道を中村さんは慣れたように軽トラックを素っ飛ばして行く。道にはカーブも多く、わたしは何度もひやりとさせられた。とても久美の世界へ誘ってもらうどころではない。前から対向車が来たらどうなるかと思うと、気が気でなかった。ジェットコースターが大好きな兄貴も、わたしに抱きついて固まっている。
夕日は隠れて見えないけれど、さっきよりも下へ移動しているはずだ。光が当たっている所は暮色に包まれ、影になっている所はどんどん薄暗くなっていく。
もしかしたら間に合わないのだろうか。泣きそうになったわたしの中で、幼いわたしが叫んでいる。
――あきらめたらだめ! がんばれ!
その隣にいる、体のわたしもわたしを励ました。
――わたしもお手伝いします。だから、あきらめないで。
急に眠気に襲われたわたしは、周りの騒ぎが気にならなくなった。ぼんやりして来た頭で、わたしは久美の髪の毛に、もう一度あなたの神さまの世界へ誘って欲しいと願った。
すると、頭の中が次第にぐるぐると回り出し、わたしは自分がどこにいるのかわからなくなった。
回転は頭の中だけでなく、わたし自身が回り出していた。わたしは回りながら風にどこかへ運ばれているみたいだ。
やがて風が静かになったとき、わたしの回転も止まった。目を開けると、わたしは水晶の洞窟にいた。後ろを振り返ると、地面に白ヘビたちのトンネルがあった。どうやら、久美の世界に入り込むことができたらしい。
いきなり水晶の洞窟に着いたのは、きっと久美の髪の毛も、自分の神さまを助けたいに違いない。あるいは久美の身体が、わたしをここまで導いてくれたのかもしれない。久美の世界全体が久美を助けたいと願っているのだと、わたしは感じていた。
今度こそ久美に会う。会ってみせる。わたしは決意を新たに前を向いた。
わたしは金色の水晶たちの所へ急いだ。洞窟をどんどん進んで行くと、先の方で光っている所が見えた。金色の水晶たちだ。
光り輝く空間に入ると、水晶たちが創り出した巨大なスクリーンに、今にも沈みそうな夕日と海、そして灯台が映っている。灯台は白いのだろうが、夕日を浴びてオレンジ色に染まっている。
灯台の向こうに広がる海は変わっていて、左側は波が荒いのに、右側はぺったりした水面だ。水平線に浮かぶ黒い陸地は九州に違いない。その陸地の陰に夕日が隠れようとしている。
近くに人影は見えず、人の話し声も聞こえて来ない。後ろの銀色の水晶たちが閃光を放つたびに聞こえるのは、久美がむせび泣く声だけだ。
「久美! 今行くから死んじゃだめ!」
わたしはスクリーンに向かって必死に叫んだ。だけど、わたしの声は久美には届かないようで、久美はずっと泣き続けている。
時折金色の水晶たちが金色の光を放つと、むせび泣く声とは別の声が洞窟に響いた。
――この疫病神! お前のせいで、みーんな死んでしもたわい。
――二枚舌にしてもひどいよね。親友にまで嘘をつくなんて最低だよ。
――ほんとは意地悪なのに善人ぶっちゃってさ。恥ずかしくないのかえ、この偽善者!
誰か久美じゃない者たちがこの中にいる。そして、みんなで久美を責め立てているようだ。
わたしは水晶のスクリーンをたたきながら、久美の名を呼んだ。しかし久美の返事はなく、深い悲しみが染み出して来るばかりだ。
その悲しみを糧にしているような気味の悪い者たちの声が、久美を責め続けてもわたしは何もできなかった。
「ねぇ、この中に入れて!」
わたしは水晶たちに頼んだ。だけど水晶たちは素っ気なく、この向こうは神さまだけの領域だと言った。
自分の身体の世界では、わたしが神さまだったから中へ入ることができた。だけど、この世界の神さまは久美であり、わたしに中へ入る資格はない。
それでも久美を助けるためには、中に入って久美を責める者たちを、何とかしないといけない。久美が命を絶とうとしているのは、きっとこいつらのせいに違いないのだ。それを必死に訴えても、頑固な水晶たちはロボットのような声で、同じ言葉を繰り返すばかりだった。
水晶と押し問答をしている間にも、スクリーンに映った太陽はどんどん下がって行く。もう下の端が陸地の陰にかかっている。
わたしは両手の拳で水晶をたたきながら、久実の名前を叫んだ。無駄なのはわかっていても、それしかわたしにはできなかった。
そのとき、どこからか光の存在の声が聞こえた。
――思い出しなさい。あなたと久美のつながりを。
辺りを見回しても、光の存在はどこにも見えない。
「どこにいるの? わたし、急いでるの! 早くしないと、久実が死んじゃう!」
――あなたと久美のつながりを思い出すのです。
ふざけないで!――と言いたいところだった。だけど相手は光の存在だ。言い争える相手ではない。それに光の存在がふざけるとは思えない。今がどんな状況にあるのかは、わかっているはずだ。だとすれば、光の存在はわたしを助けようとしているのに違いない。
冷静に考えたわたしは、光の存在が伝えていることが理解できないまま、その指示に従ってみることにした。だけど、わたしと久美のつながりを思い出す?
――あなたはわかっているはずです。自分と久美との関係を。
そうだった。わたしたちは生まれる前から、特別な関係にあったんだ。だからこそ、いろんなことが起きている。だけど、それがどんな関係なのかなんて思い出せない。どうすれば思い出せるの? それに、それを思い出したところでどうだと言うの?
――あなたは久美。久美はあなたです。あなたたちは一つの光でした。
やっぱり、そうだったのか。でも、どうやってそのときのことを思い出せばいいの?
――わたしを感じなさい。わたしを受け入れて感じるのです。
「あなたを? でも、あなたはどこにいるの?」
――わたしはここにいます。いつもあなたの中に、わたしはいます。あなたの中に、わたしを見つけて。
わたしの中に光の存在がいる? それは驚きだったし、とても心強かった。
久美のことが気になったけど、わたしは光の存在の言うとおりにしようと思った。目を閉じて気持ちを落ち着けながら、わたしは自分の心の中に光の存在を探った。
初めは何もわからなかった。気にしないようにしても、やっぱり久美のことが心配になるし、焦ってしまうと意識が集中できない。
――あなたは光。あなたは愛。あなたの中にある愛に触れてみて。
光の存在が心の中で話しかける。まるでその声は磁力のように、わたしの心全体を引き寄せて収縮させていく。
わたしの心は光の存在の心に、次第に取り込まれるように重なっていった。それは言葉では表せないような安らぎであり、喜びだった。あまりの感激にわたしは涙がこぼれた。そして、わたしは思い出した。
わたしは光……。わたしは愛……。わたしは……わたしは……、わたしは光の存在だった。そう、あの光の存在は本来のわたし自身。そして今を生きるわたしはその分身だ。
わたしはこの世界に生まれて来るときに、二つの心に分かれた。その一方が春花で、もう一方が久美。風船たちが身体の心の分身であったように、わたしと久美は同じ光の存在の分身だった。わたしたちは新たな可能性や喜びを求め、互いの再会を約束して、それぞれの両親の元に産まれたんだ。
わたしは春花としての意識を保ちながら、光の存在の意識も感じていた。そして、光の存在の意識を通して、久美の意識も感じることができた。
体が離れていても、わたしたちの心はつながっている。わたしの心はいつだって久美の心と一緒なんだ。久美……。久美を感じる……、久美を……感じる……。感じる……。久美……。
気がつけば、わたしは水晶の洞窟ではなく金色の霧の中にいた。その霧の中を感じるままに歩いて行くと、霧が晴れた場所に出た。そして、そこに久美が向こうを向いて立っていた。
「久美!」
わたしは久美の傍へ駆け寄り、久美の肩に手をかけた。すると、久美がゆっくり振り返った。
こちらを向いた久美を見たとき、わたしはぎょっとして立ちすくんだ。何と、久美には頭が四つもあった。