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水晶の洞窟

 また虹の森へやって来た。ここが前に訪れたのと同じ場所かはわからない。でも、目の前に広がる森は壊滅的だ。
 真っ黒だったであろう木々は、どれも根元でポッキリ折れて砕け散っていた。その切り株のように残った根元から、続々とイガグリが出て来ている。
 無数のクラゲたちが、壊れた森全体を覆うように集まっている。イガグリを森の外へ出すまいとしているようだ。
 青くしぼんだ風船たちは、元気を手に入れることができないまま、クラゲたちの上方をむなしく流れて行くばかりだ。下を流れてしまった者たちは、イガグリたちに殺される運命にあった。
 白い洞窟の中では、たくさんのビーチボールが分裂して増殖していた。だけど、あそこで増える数よりも、ここで壊れて行く数の方がはるかに多いように思う。戦いはクラゲたちが劣勢で、このままだといずれイガグリはこの森を出て世界中へ広がるだろう。そうなれば間違いなく、この世界は破滅するに違いない。
 一方で、わたしの息苦しさは強くなっていた。ひどいせきに襲われてうずくまるたびに、世界は大地震に見舞われた。まるでわたしの咳と地震は連動しているようだ。
 それは、わたしがこの世界の神であることを示されているようで、神であるわたしの弱体化が、世界の崩壊とつながっているみたいに思える。
 体のだるさは半端じゃなく、頭の中も何かを思考できる状態ではない。わたし自身が崩壊しそうな感じだ。
 どうしてこれほど具合が悪いのか。その理由はわからない。でも、自分がこれだけ弱ったからこそ、偽の神がこの世界を手に入れたのだろう。
 偽の神は世界を滅ぼそうとしているけれど、そうさせた責任がわたしにはある。
 わたしをまもろうとして死んでいった者たちのことを思うと、どんなに具合が悪くても弱音を吐いたりはできない。これ以上、わたしを慕ってくれている者たちの命が奪われるのを、許すわけにはいかないのだ。
 この世界を取り戻してみせる。その想いだけが、今のわたしを突き動かしていた。
 咳と地震が落ち着くのを待って、わたしは急いで虹の森を離れた。
 わたしなんかにこの世界を救えるなんて、信じているわけじゃない。そもそもわたしには自分がこの世界の神だという認識がない。それでもこれは自分の役目なのだと、わたしは強く感じていた。これをするべきなのは、また、これができるのは自分を置いてはいないと、心の奥にいる自分がわたしを鼓舞している。
 巨大な口の生き物に会うための入り口は、この森の次に現れる二枚歯の口の向こうにある。問題はどうやってその入り口へ入るかだ。
 わたしはぼんやりしがちな意識の中で、どうすればいいだろうかと必死に考えた。
 あの巨大な口の生き物が偽の神でないならば、他の生き物たちのように、わたしを慕ってくれるはずだ。そうであるなら、わたしの言葉を聞いてくれると思うけれど、あの状態では会話などする暇がない。わたしは心も体もぐちゃぐちゃにされ、あっと言う前にあの生き物の中を通り過ぎてしまう。
 あの口にみ込まれる前に、こちらの言葉を向こうに届かせるにはどうするか。そう考えたとき、この世界では声で意思を伝えているわけではない、ということをわたしは思い出した。
 風船たちの言葉は声を介さず、直接わたしの頭の中に伝わって来る。わたしは相手に口でしゃべっているつもりだけど、実際は声は出ないで、頭の中の想いだけを相手に伝えているのに違いない。
 声であれば近くへ行かないと聞こえないだろうが、テレパシーのような伝え方なら、離れていても伝わるはずだ。
 そうだ、あの口に呑み込まれる前に、あの生き物に話しかけてみよう。だめかもしれないけど、やってみる価値はあるし他に方法はない。

 前方の遠くに巨大な口が見えると、わたしは口に向かって大声で話しかけた。と言っても、やはり実際の声ではなく頭の中で叫んでいるようだ。
「ねぇ、わたしのことがわかる? わたし、あなたと話がしたいの。これからあなたの中に入るけど、そのままわたしを吐き出さないで、あなたの所へ行かせてちょうだい!」
 声が届いていないのか、相手からの返事はない。ただ、戸惑とまどっているような感じだけは伝わって来た。
 わたしは巨大な口に引き寄せられながら、何度も同じことを叫び続けた。そうして目の前に二枚歯が迫ると、わたしはあっと言う間に口の中へ吸い込まれた。
 中の様子はこれまでと変わらない。圧力と絶望で痛めつけられたあと、わたしは外へ吐き出された。やっぱり話は通じなかったのかと、わたしはぐるぐる回転しながら落胆していた。
 でも、何だか周りの様子がこれまでとは違うみたい。今までは広い空間に放り出されていたけど、今回は狭い空間の中に押し込められたようだ。
 これはもしやと考える間もなく、気がつくとわたしは巨大な赤い大蛇たちの上に降り立っていた。
 大蛇の上に立ったのは初めてじゃないけど、わたしはびっくりして逃げようとした。だけど自分で跳び上がる前に、わたしは勢いよくうねった大蛇に大きく跳ね上げられた。
 そのまま宙に浮かんで下を眺めてみると、大蛇たちは一団となって大きくリズミカルに上下に動いていた。その様子は大きな赤い絨毯が じゅうたん 風にたなびいているようだ。
 前に見た炎を出す大蛇は頭が二つあって、長い胴体に目のような物がたくさんあった。でも、この大蛇たちは頭は一つで胴は短く、胴体の目のような物は一つだけだ。
 一匹がもう一匹の尻尾にみつき、咬まれた大蛇は別の大蛇の尻尾を咬んでいる。そうやってできた長い大蛇の列がびっしりと横に並ぶことで、大蛇を編み込んだ絨毯が作られている。
 でもこの大蛇の絨毯は、部屋に敷く絨毯のように平らにはなっていない。一見平らに見えても、上から見下ろすと、全体がとても巨大な球体を形成しているのがわかる。その球体がリズミカルに拍動し、大蛇たちは順番に上下運動を繰り返していた。
 大蛇の球体周囲には白い霧が広がっていて、霧の中に入ると球体が見えなくなる。
 この霧は奇妙な感じで、あまり奥深く入ろうとすると、クッションのように押し戻されてしまう。だから、うんと離れた所から球体全体を眺めることはできなかった。
 尻尾を咬まれた大蛇の列の先頭はどうなっているかと思い、わたしは一番先にいる大蛇を求めて移動した。
 すると、大蛇の列の群れは二手に分かれて、霧の中へ消えていた。球体の端が二本の管になったわけだが、その先は霧の中なのでどうなっているのかはわからない。
 球体の大蛇たちが拍動して動くと、管を構成している大蛇たちも、球体の大蛇たちに合わせて動く。球体で作られた拍動の波は、そのまま二本の管にも伝わっていた。
 この二本の管のうち、片方の管の付け根辺りに洞窟が見える。そこから次々に赤い風船たちが出て来るので、そこがこの場所への入り口に違いない。よく覚えていないけど、わたしもその洞窟を通り抜けてここへ出て来たのだろう。
 と言うことは、あの洞窟はこの管の内側に通じているわけだ。だとすれば、この球体があの巨大な生き物で、管は呑み込まれた者たちが放り出される所なのだろう。
 三枚歯の口から出ると、必ず虹の森へ行き着くけど、二枚歯の口から出たあとは、どこへ向かうのかはわからない。それぞれ出たあとの行き先が違っているのは、通る管が違うからだと私は納得した。
 わたしはこの球体が一つの生き物だと思っていたけど、実際は数え切れない大蛇の集団だった。
 誰がボスなのかがわからないので、わたしは上空から大蛇たち全体に向かって声をかけた。
「わたしが呼びかけてたのは、あなたたちなのね? そうでしょ?」
 ――ソウデス。神サマ。
 頭の中で泣いているような震えた声が聞こえた。男なのか女なのかはわからないけど、大人のような声だ。
 声は一つだけでなく、大勢の声が同時に聞こえている。声の様子から、この大蛇たちはわたしを恐れているようだった。
「あなたたち、どうしてみんなを苦しめるようなことするの? あなたたちが広めてるのはね、わたしの言葉じゃないの。わたしの偽者の声なのよ」
 ――ニセモノ?
「わたしじゃない誰かの声を、あなたはわたしの声だと勘違いしてるってこと」
 ――ワタシ、ワカリマセン。
 大蛇たちは全体で一匹のような受け答えだ。見た目はたくさんだけど、全体で一匹と考えた方がいいのだろうか? わたしは迷いながら大蛇たちに言った。
「わからないって、何が?」
 ――ワタシ、神サマノ言葉、ミンナニ、伝エテイルダケデス。
「わたしがこんなひどい言葉を、あなたに伝えるわけないでしょ?」
 ――ワタシ、神サマノ言葉、伝エルダケ。
「あなた、こんな言葉広めたら、みんながどうなるかわからないの?」
 ――ワタシ、神サマノ言葉、伝エルダケ。
「そうだとしても、この言葉はおかしいぞって思わないの?」
 ――ワタシ、神サマノ言葉、伝エルダケ。
「あなただって、わたしに嫌われてるって思ったら悲しいでしょ?」
 ――悲シイデス。ダケド、神サマノ言葉、仕方アリマセン。
「自分も悲しいのに、その言葉をみんなに伝えるってわけ?」
 ――神サマノ言葉、伝エルノガ、ワタシノ役目デス。
「自分が死ぬかもしれないのに?」
 ――神サマノ言葉、伝エルノガ、ワタシノ役目デス。
 頭が固いと言うのか、考える頭がないのか、大蛇たちは同じ言葉ばかりを繰り返して、ちっともらちが明かない。
「あなたが言う神の言葉って、どうやってあなたに伝えられるの?」
 ――ササヤカレルノデス。
「囁く? その神さまがあなたの所に来て囁くの?」
 ――神サマ、イツモ一緒デス。
「いつも一緒って、今もその神さまは、ここにいるの?」
 ――アナタ、神サマ。アナタ、ココニイマス。
「そうじゃなくって、あなたが言う神さまよ。みんなにひどいことを言う神さまのこと」
 ――神サマ、一緒デス。
「一緒じゃないの! わたしはみんなを苦しめるようなことなんか言わないよ」
 大蛇たちは黙ってしまった。こちらの話が理解できないのだろうか。
 わたしは話をやめて、球体の上方を移動した。
 球体はかなり大きいので、全部を見るのは大変だ。ずいぶん移動した頃に、初めに見たのとは別の太い管が現れた。管はやはり二本ある。でも拍動はせず、球体の拍動に合わせて小さく振動していた。その管の先は、やっぱり霧に隠れて見えない。
 この管があるのは、大蛇たちの尻尾の側だ。よく見ると、列の一番後ろにいる大蛇たちの尻尾が伸びて合わさり、この二本の管を作っているようだ。
 こちらも片方の管の付け根に洞窟があり、大蛇たちに元気を渡して青くなった風船たちが、ゆっくりと入って行く。たぶんここが出口なのだろう。
 二つの管の間を見ると、そこから白いひものようなものが霧の中へ伸びていた。
 これは何だろうと思って、わたしは紐に近づいてみた。すると、紐はいくつにも分岐して、赤い大蛇たちのそれぞれの尻尾に引っ付いていた。
 その部分にさらに近づいてみると、突然声が聞こえた。
 ――コノ役立タズメ。オマエナンカ、死ヌノガ、オ似合イジャ!
 わたしは驚いて辺りを見回した。だけど、声の主は見当たらない。それでも罵倒する声が、あちこちから聞こえて来る。
 ――貴様ノセイデ、ワタシハ、ドレホド、ツライ思イヲ、サセラレタコトカ。
 ――何ニモデキヌ、ロクデナシメ。貴様ナンゾ、オラヌ方ガマシジャ!
 ――嫌イジャ、嫌イジャ! ワタシハ、貴様ガ、大嫌イジャ!
 ――オ前ナンゾニ、何ガデキル? 貴様ニ、何ノ価値がアルンジャ?
 ――ドウシテ、サヨウニ、不細工ナノジャ! 何故ナニユエ、モット美シク生マレナンダ?
 怒りでムカムカしながら、わたしは声の主を探した。そして、ついに見つけた。
 いくつもに分かれた白い紐は、赤い大蛇たちの尻尾にからみつきながら、それぞれが一匹の小さな白いヘビになっていた。その白いヘビたちは、赤い大蛇たちの尻尾にらいついたまま、赤い大蛇たちに口汚くののしり続けていた。
「あんたたちだったのね?」
 わたしはすぐ近くにいる白いヘビをにらんだ。
 この白いヘビは、炎を吐く大蛇たちの所にもいたあのヘビだ。
 あのヘビたちと同様に、目の前にいるヘビたちも、わたしの言葉など聞こえていないみたいだ。録音テープが喋るように、ずっと罵声ばせいを繰り返している。
「ちょっと、あんたたち。い加減にしなさいよね!」
 わたしは白いヘビにつかみかかった。だけど白いヘビの頭をつかんだ途端とたん、つかんだ両手を伝って強烈な怒りと悲しみが、衝撃波となってわたしの中にぶち込まれた。それはこの赤い大蛇の球体の中で、詰め込まれたものより強力だった。
 わたしはショックで弾き飛ばされ、胸の中で感情が暴れるのを抑えることができなかった。心を制御できないわたしは、いつの間にか白いヘビと同じ言葉を叫び続けていた。
 ――神サマ、ヤッパリ、ミンナガ嫌イナノ?
 わたしに張りついた赤い風船が、わたしに元気を与えながら悲しげに言った。
 はっと我に返ったわたしは、両手で胸を押さえて叫んだ。
「わたしはこの世界が大好き! わたしはこの世界にいるみんなが大好きなの!」
 わたしは叫び続けた。すると、わたしの中であれだけ暴れ回っていた、狂気の渦が弱まった。
 そのあとも同じ言葉を繰り返し叫び続けると、心の中の狂気は次第にしずまっていった。そうして、わたしはやっと落ち着きを取り戻すことができた。
 赤い大蛇に罵り続ける白いヘビは、霧の中から出て来ている。このヘビの本体、あるいはこのヘビを使う黒幕が、この霧の向こうにいるに違いない。
 わたしは白ヘビの尻尾を追って、霧の中へ入ろうとした。だけど霧に跳ね返されて、奥へ進むことができなかった。
 わたしは白ヘビの言葉に苦しむ、赤い大蛇たちをねぎらった。それから、白ヘビがどこから来ているのかと、大蛇たちに尋ねた。
 大蛇たちは、それがどこなのかは答えられなかった。だけど、わたしをそこへ送り届けることはできると言った。
 わたしは絶対にあの声を止めてみせると、大蛇たちに約束した。それから、大蛇たちの言葉に従って、青い風船たちが入って行く洞窟へ向かった。

 洞窟を抜けると、わたしはすぐに三枚歯の口に呑み込まれた。それから虹の森へ運ばれた。白ヘビの場所へ行くのはそのあとだと、赤い大蛇たちが言っていた。
 このときに見た虹の森は、さらにひどい状態になっていた。
 木がほとんど折れてなくなった森には、クラゲや風船たちの残骸が霧のように漂っていた。その中を数え切れないイガグリが、我が物顔で浮かんでいる。
 生き残っているクラゲは戦意喪失した感じで、近くにイガグリがいても捕まえようとしない。流れ込んで来る風船たちは青くしぼんだまま、次々にイガグリの餌食えじきになった。
 わたしは具合が悪いのも忘れ、急いで森の上空を抜けると二枚歯の口へ向かった。
「お願いね! あの声の主の所へ、わたしを運んで!」
 迫る巨大な口に向かって、わたしは叫んだ。
 口の中へ飛び込んだわたしは、これまでと同じように扱われ、これまでのように吐き出された。
 飛ばされて移動している間は、どこへ向かっているのかはわからない。途中の道は、どれも同じように見える。本当に頼んだ場所へ行けるのだろうかと不安になったが、やがてたどり着いたのは白いトンネルだった。でも風船たちの故郷のように、クモの巣みたいな柱はない。
 何故トンネルが白いのか。それはこのトンネルが白ヘビの胴体でできているからだ。白ヘビの長い胴体がすだれのようにびっしりと並び、筒のようになったのがこのトンネルだった。
 胴体ばかりで頭はないので、あの罵倒する声は聞こえない。でも、白ヘビの胴体から狂気がにじみ出ていて、触れればどうなるかは予想がついた。
 わたしは白ヘビに触らないよう、バランスを取って浮かびながら前に進んだ。
 風船たちが心配になったけど、この白いすだれのような壁には、どの風船も触れていない。近づくことはあっても、ある程度までしか近づけないようだ。
 わたしは恐る恐るすだれの壁に手を伸ばしてみた。ぎりぎりの所まで指を近づけてみるつもりだった。
 風船たちが近づけない距離になると、わたしの指は透明の膜のような物に触れた。手のひらでその膜を押してみると、柔らかい感触で少し向こう側に近づけた。だけど、それ以上は手を押しやることができないので、壁に触れることはない。
 わたしはほっとすると、流れに乗って先へ急いだ。

 白ヘビのトンネルを抜け出ると、足場のない広い空間に出た。そこは辺り一面が色とりどりの水晶だった。まるで虹の七色でできた宝石が散りばめられているようだ。
 浮かんでいるので地面がなくても平気だけど、重力を感じないこの場所では、どっちが上でどっちが下かはわからない。白ヘビのトンネルは絶壁のような所にぽっかり口を開けていたけど、身体の向きを変えれば、トンネルの出口が地面に開いているように見える。
 トンネルを構成していた白ヘビの胴体は、トンネルの出口から周囲の水晶に向かって放射状に伸びている。それで地面に見えた絶壁は、白ヘビの胴体が敷き詰められた絨毯のようだった。でも、この白ヘビの絨毯も透明の膜で覆われているので、地面に降り立っても直接触れることはない。
 そうは言っても、一度はひどい目に遭った白ヘビだ。わたしはできるだけ浮かんだまま、白ヘビの地面には足を降ろさないようにした。そのとき、近くで叫び声が聞こえた。
 ――敵ガイルゾ、火ヲ吐ケ!
 どきりとしたわたしは緊張しながら身構えた。この声は大蛇の森で聞いた白ヘビだ。ここは白ヘビたちの巣に違いないから、わたしは白ヘビが襲って来ると思った。だけど、白ヘビは攻撃して来ないし、炎が出てくるわけでもない。
 それでもわたしは警戒を解かないまま、辺りをよく観察した。わかったのは七色の水晶たちにも、例の目玉のような物がそれぞれ一つあるということだ。それは、水晶たちも風船たちの仲間ということであり、風船たちは他の所と同じように、水晶たちにも元気を分け与えてやっていた。
 あの枯れ草の原っぱで見つけた赤い光の花が、数は非常に少ないけれど、風船たちに交じって漂っていた。水晶に触れた赤い光の花は、そのまま水晶の中に溶け込んで消えた。
 それとは別に、何かきらめく小さな物がわたしの前を横切った。よく見ると、それはひらひらと舞う小さな透明のちょうだった。
 このガラスのような蝶はクラゲの死骸の一部だ。何でこんなものがここに?――と思っていると、蝶は赤い水晶の上にとまり、小さな声で囁いた。
 ――敵デス。危険デス。
 それだけ伝えると、蝶はそのままちりとなって消え去った。そのとき、水晶の赤い目が明るく輝いた。
 ――敵ガイルゾ、火ヲ吐ケ!
 赤い目が放つ光でその水晶全体が赤く輝き、そこから出ている白ヘビの胴体が震えた。
 そうか、そうだったのか。わたしは理解した。あの白いヘビを通して言葉を発していたのは、この水晶だったんだ。と言うことは、球体の赤い大蛇たちに呪いの言葉を発しているのも、ここの水晶に違いない。
 敵がいる警報を発するのは、世界をまもるためだ。だけど、世界に暮らす者たちを呪うのは、世界を滅ぼすのと同じことだ。
 この二つの動きは矛盾している。きっと、一部の水晶が狂っているのに違いない。その水晶を探し出して狂った指示をやめさせれば、世界を救うことができるだろう。
 洞窟には無数の水晶が所狭しと並んでいて、それぞれの水晶から白ヘビの胴体が伸びている。それでも叫んでいるのは赤目の水晶たちだけで、他の水晶たちは黙ったままだ。
 わたしは洞窟をどんどん奥へ進んで行った。途中に、白ヘビのトンネルの出入り口がいくつかあった。だけど、世界を呪う水晶はまだ見つからない。あちこちで聞かれていた、赤目の水晶たちの叫び声も次第に遠ざかり、ついには何も聞こえなくなった。
 どのくらい進んだだろう。前方で金色こんじきの光が輝くのが見えた。あの呪いの声も聞こえて来る。偽の神に違いない。わたしは光の場所へ急いだ。

 そこは金色の水晶と銀色の水晶に囲まれた巨大な空間だった。前方の壁は金色の水晶、そして後方の壁は銀色の水晶でできている。
 光りながら騒いでいるのは金色の水晶たちで、銀色の水晶は光らずに沈黙している。
 ――コレマデ貴様ニ、マトモニ、デキタコトガ、アロウカ?
 ――何ト恥知ラズナ、何ト情ケナイ奴ジャ。
 ――貴様ナンゾ、産マレテ来ネバ、ヨカッタンジャ!
 みんな、世界を護ろうと必死に戦っているのに。大好きな神さまのために、懸命に生きているのに。そんなみんなに向かって、どうしてこんなひどいことが言えるの? 狂っているにしても許せない!
「あんたたち、さっきから、何ひどいことばかり言ってんのよ! あんたたちのせいで、この世界は滅びそうになってるのよ!」
 わたしが叫んでも、ほとんどの水晶たちはわたしの声を無視して、同じような呪いの言葉を繰り返した。ただ、わたしの正面にいる水晶だけが、わたしの言葉に反応した。
 ――コレハ、神サマノ言葉デス。
 呪いの言葉でない水晶の声は抑揚よくようがなく、機械が喋っているみたいだ。
「その神さまって、どこよ?」
 ――コノ中デス。
「そんな出任せ言って! 神さまなんて、ほんとはいないんでしょ?」
 ――デマカセ? ワカリマセン。
「みんな、わたしが神さまだって言ってんのよ? それなのに、その中に神さまがいるって、どういうこと?」
 ――アナタニハ、神サマノ気ヲ、感ジマス。デモ、アナタハ、神サマデハアリマセン。
「どうして、そう言い切れるの?」
 ――神サマハ、世界ト一ツデス。世界が生マレタトキカラ、ズット、コノ中ニイマス。
「その神さまが、どうして世界を壊そうとするの?」
 ――神サマノ意思、ワカリマセン。我々ハ、神サマノ言葉ヲ、伝エルダケデス。
「世界が滅びるのよ? あなたたちだって、死んじゃうんだよ? それでもいいの?」
 ――ソレガ、神サマノ意思ナラバ、従ウノミデス。
「わたしはこの世界を救いたいの。この子たちを助けたいのよ!」
 わたしは周りにいる風船たちを見回して言った。だけど、水晶の反応は変わらない。
 ――世界ヲ救エルノハ、神サマノミデス。
「だから言ってるでしょ? わたしが神さまだってば!」
 ――アナタガ、神サマナラバ、何故ココニ、イルノデスカ?
 わたしは言葉に詰まった。水晶は淡々と言葉を続けた。
 ――アナタガ、神サマナラバ、ココニハ、イマセン。コノ中ニ、イルハズデス。
 何と言う愚かな頑固がんこ者だろう。話にならない。わたしは無理やり中へ入ろうと、水晶を押しのけようとした。だけど、水晶はびくともしない。
 それにここまで来たけど、今度こそもう力の限界だ。わたしは力を失い膝を折った。
 そのとき、後ろに並ぶ銀色の水晶たちが、稲光の閃光せんこうが走るように光った。同時に、洞穴中に響くような大きな声が聞こえた。
はるちゃん、しっかりして! 何で、こんなことに……」
「お母さん? お母さんだ!」
 それは母の声だった。母の声によって、わたしは自分が誰なのかを思い出した。わたしは白鳥しらとり春花はるか。中学一年生の女の子だ。
「お母さん、どこ? わたしはここにいるよ?」
 通路に出て周囲を見渡しても、母の姿はない。代わりに銀色の水晶たちが稲妻のように光り、懐かしい声が辺りに響いた。
「まだ息がある。大丈夫よ、待っててね。すぐに救急車を呼ぶからね!」
 救急車? そうか、わたしは部屋で倒れて死んだんだ。いや、そうじゃない。お母さんは、まだ息があるって言ってた。それに救急車を呼ぶということは、わたしはまだ生きてるってこと?
 わたしは混乱した。生きているのなら、ここにいるわたしって何? この世界って何?
 もし、わたしの身体が生きていたとしても、わたしがここにいる以上、身体が本当に生き返ることは有り得ない。よくて植物人間。悪ければ、やっぱり助からないだろう。
 今すぐ戻れたら、わたしは助かるかもしれない。だけど、どうすれば元の世界へ戻れるんだろう?
 どうやってここへ来たのかわからないから、ここから出る方法もわからない。それに、戻れる方法がわかったとしても、滅びかけてるこの世界を見捨てて、一人だけ逃げるなんてわたしにはできない。
 自分が本当にこの世界の神なのかはわからないけど、みんながわたしを慕ってくれている。それなのに、みんなを放って行くなんてできないよ。
 わたしは泣いた。世界も救いたいけど生き返りたい。元の世界に戻れなければ、助かるかもしれないわたしの身体は、今度こそ本当に死んでしまうに違いない。
 わたしの身体……。わたしの大切な身体……。
 真弓まゆみたちとめて学校にいられなくなり、わたしは自暴自棄になっていた。本当は自分が悪かったのに、それを認めることができず、何もかも身体のせいにしてしまった。
 勉強ができないのも、運動が苦手なのも、身体が悪いわけじゃない。努力をしない自分が悪かっただけだ。自分の顔にブスって言ったけど、ほんとは案外可愛いって思ってた。
 それなのに自分が死ぬって思ったとき、取り返しがつかないって思ったとき、わたしは自分の身体を罵ってしまった。お母さんがわたしのために産んでくれた身体なのに……。産まれたときから、ずっとわたしを支えてくれた身体だったのに……。
 そう、わたしは思い出した。この体はわたしが生まれるために、先にお母さんのおなかの中で、わたしを待ってくれていたんだ。わたしと一つになりたくて、ずっと待っていてくれたんだ。
 それからわたしと体は、何をするにも一緒だった。体はわたしの一番の相棒で、どんなことでもわたしと一緒に経験したんだ。
 いや、そうじゃない。体はわたしが望むとおりに動いてくれて、わたしにいろんな喜びを経験させてくれた。
 体がこうして欲しいって、わたしに訴えて来ても、わたしはそれを無視することがあった。それでも体はわたしを裏切ったりしないで、いつもわたしのために動いて、わたしを支えてくれていた。
 わたしがお母さんから生まれることができたのも、家族でいろいろ楽しむことができたのも、絵を描くことができたのも、谷山たにやまと二人三脚ができたのも、全部体が手伝ってくれたからだ。久美くみと知り合えたのも、早苗さなえに漫画を見せてもらえたのも、体が一緒にいてくれたから。
 転んで怪我をしたって、体はがんばって傷を治してくれた。風邪を引いたときだって、一生懸命風邪を治してくれたんだ。
 わたしが具合が悪いのならば、体だって具合が悪かったはずだ。それなのに体はわたしのために、ずっとがんばってくれていた。それなのに……。
 倒れたままわたしに罵倒され、涙をこぼしたわたしの身体の姿を、わたしは思い出していた。
 あなたは何も悪くないのに、あんな姿になるまで追い詰めて、挙げ句の果てに罵って死なせてしまうなんて。わたしは何て馬鹿だったんだろう。ごめんね、わたしの身体。ごめんね……。許してなんて言えないけど、それでもあなたはわたしを責めないんでしょ? ごめんなさい……、どうか、わたしを許して……。
 涙ぐむわたしの頭に、鏡に映した自分の姿が浮かんだ。鏡の中のわたし・・・が囁いている。
 ――あなたはね、この世でたった一人の、わたしの神さまなの。
 わたしは、はっとした。そうだ、あのとき鏡の中のわたし・・・は、確かにそう言った。
 ――ミンナ、一ツノ存在ノ、分身ナンダヨ。コノ世界ノネ。
 不思議な生き物の言葉が、わたしに考えさせた。
 わたしを神と慕う風船たちは、この世界の分身だ。でも、この世界って?
 ――あなたはね、この世でたった一人の、わたしの神さまなの。
 鏡の中のわたし・・・が囁き続けている。
 ――カツテ、コノ世界ハ、アナタノ愛ニ満チテイタ。
 不思議な生き物が語りかけてくる。
 突然すべてがわたしの中でつながり、わたしはようやく理解した。風船や大蛇たちは、みんなわたしの身体の分身で、この世界は、わたしの身体の心そのものだった。
 そして、わたしは思い出した。
 不思議な生き物が語った二つの愛とは、父の愛と母の愛だ。
 二つの愛が一つになって母の中に宿り、そこにわたしの愛が加わった。それがわたしの身体であり、この世界だった!
 そのとき、洞穴中のすべての水晶が金色に輝いた。わたしは光に包まれ、気がつくと洞窟とは違う場所にいた。だけど、ここはどこなんだろう?