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諱(いみな)

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江戸時代まで、武士は元服をすると、本当の名前として、諱(いみな)というものを、親や主君からもらったそうです。

本当の名前を他人に知られると、呪われたりするので、他人には秘密の名前だったようです。

諱を呼んでいいのは、その人物の上になる者、つまり親や主君だけです。

他の人たちは、諱の代わりに、字(あざな)という、いわゆる通名で呼んだり、その人物の役職などで呼んだようです。

明治時代になってからは、諱と字という名前の使い分けはなくなり、誰もが本名で呼べるようになりました。

それが今に続いているのですが、呼び方がいくつもあるのは、複雑で面倒なように思えます。

でも、今だって会社の社長や部長などのことを、名前では呼ばずに、「社長(さん)」「部長(さん)」と役職名で呼んだりしますよね。

教師や医師のことも、名前で呼ばずに、「先生」と呼びますが、身内や親しい知人などは、名前やあだ名で呼ぶでしょう。

芸名やペンネームを持っている人は、そちらの名前で呼ばれることが、多いと思います。

呼び方がいくつもあるというのは、こんな感じだったのでしょう。

ただ、その人の本名は、本人が隠そうとしない限り、別に秘密ではありません。

ですから、「先生の名前は、風野陽二って言うんですか、ふーん」なんて言っても、怒られることはありません。

でも、江戸時代の侍に対して、庶民が同じようなことを言ったら、大変だったでしょうね。

ところで、諱のように本名を隠した状態というのは、本当の自分を隠しているのと、同じ意味合いになるでしょう。

相手の呪いを受けないために、本名を隠すというのは、そういうことだと思います。

本当の自分を隠したまま、周囲の人々と付き合うというのは、どこか醒めた気持ちで、人々を眺めている自分がいるということです。

スパイなんかは、そうですね。

自分の正体を悟られないよう、普通の人物を装いながら、自分の任務を遂行するのです。

どんなに周囲が笑ったり泣いたり怒ったりしても、それに引き込まれてはいけないのです。

引き込まれてしまうと、自分の使命を忘れてしまい、任務を果たせなくなるでしょう。

でも逆に、いろんなことに巻き込まれたり、影響を受けてしまい、他人に振り回される人生を送っている人は、生活現場から一歩離れた所から、自分が置かれた現状を、客観的に眺めてみる必要があります。

他人に共感することはあっても、振り回されないようにすることは大切です。

そもそも、自分は何のために、この世界に生まれて来たのだろうと考えると、今の自分を、これでいいのかという視点で、見ることができます。

この時の、見られている自分ではなく、見ている方の自分というのは、この世界の外から、この世界へやって来たという、自覚がある自分です。

ロールプレイングゲームを楽しむ時に、ゲームに参加したという意識を持っている自分ですね。

普段の自分は、人生というゲームにはまり込み過ぎて、ゲームに参加する前の自分のことなんか、すっかり忘れている自分です。

この人生に夢中になっている、自分が使っている名前が、いわゆる実名になるわけですが、この名前はこの世界でつけられた、この世界で暮らすための名前です。

この名前が本当の自分だと認識していると、人生ゲームにどっぷり浸かって、自分が置かれた状況を、冷静に見ることが難しくなります。

自分は外の世界から、この世界の人生を、体験しに来ているのだと考えられれば、物事を冷静に見ることができるはずです。

こんな時には、自分で自分に諱をつけてみましょう。

諱ですから、他人には一切秘密です。

親にも上司にも教える必要はありません。

知っているのは、自分だけです。

他人から呼ばれることのない諱をつけるのは、この世界ではない、外の世界の自分という認識を持つためです。

つまり、外の世界の自分を表す名前なのです。

この世界を客観的に見るためには、この世界から離れた視点が必要です。

そのために諱を利用するのです。

この世界の実名は、仮の名前であり、その名前で活動している自分は、仮の自分だと思えば、今の自分がこれでいいのかと、冷静に判断できるようになるでしょう。

他人の価値観と自分の価値観を、きちんと区別することもできると思います。

どうにもならない状況に、自分が置かれていると感じる人は、自分に諱を付けてみましょう。

本当の名前、秘密の名前です。

恐らく、その名前には、自分の本当の姿や、本当の望みが反映されているでしょう。

その名前こそが、本当の自分を表しているのだと受け止め、その名前のとおりの生き方を、探って行けば、行き詰まった状況から、抜け出せると思います。

この世界での経験は、とても大切なのですが、その大切さを理解するためにも、この世界から離れた視点が必要になるのです。