> 社会 > 世界事情・社会情勢 > 核兵器禁止条約

核兵器禁止条約

この記事は4で読めます。

核兵器禁止条約が発効されました。

50カ国と地域が批准した条約ですが、米露などの核保有国や、日本など核の傘下にある国は拒否しています。

世界で唯一の戦争被爆国である日本には、この条約に加わって欲しかったと、多くの日本国民が考えていることでしょう。

核が戦争の抑止力になっているという論理がありますが、その論理を認めた人であっても、核兵器がない方がいいと、思っているに違いありません。

結局、核兵器というものは、誰もが知っているとおり、究極の大量破壊兵器です。

いかに効率よく大量の人々の命を奪うのか、という観点で造られた兵器なのです。

人の命は尊いものだと、本気で考える人であるならば、核兵器どころか、あらゆる武器の廃絶を願うはずです。

人を殺してはいけないと、教えられた子供であれば、いろいろ理屈をつけて核兵器を持ち続けることに、大きな疑問を抱くでしょう。

核兵器に限らず、相手を殺す武器を持つということは、相手を信用していないということです。

世の中に、信じられる人しか存在しなければ、人を殺す道具など、持つ必要はありません。

と言うことは、互いを信頼し合うことができたなら、核兵器などいらないということです。

核兵器以外の武器も、いらなくなるのです。

そして、そういう道を歩むのだと、大国あるいは大国に従う国を除いた、多くの国々が、核兵器禁止条約を通して宣言したのです。

この条約に法的な拘束力があるのか、ということは問題になりません。

ほとんどの国が非力かもしれません。

しかし、大半の国が賛同したということに、意味があるのです。

表現が悪いかも知れませんが、マフィアやヤクザの抗争に、我慢ができなくなった一般の人々が、ノーを突きつけたというような格好でしょうか。

条約に加わっていようがいまいが、問われているのは人間性であり、その国の国民性です。

核兵器廃絶の動きを、平気で無視するような国があれば、世界中の多くの人々の心は、その国から離れてしまうことでしょう。

これまで非力で貧しい国に対して、大国はお金で文句を、言わせないようにして来ました。

それは札束で相手の頬を、叩くのと同じです。

文句を言いたくても、お金が必要な国は、文句が言えません。

それをいい事に、これまで大国は好き放題をして来たのです。

しかし、ついに世界中が大国に対して、注文をつけるようになったのです。

これまでも、クラスター爆弾や化学兵器などの禁止条約も、非力な国々の力で成立して来ました。

もちろん大国は加わりませんが、そういった武器は使われなくなっています。

それは、非力であろうとも、多くの国々の声は、無視できないということなのです。

どの国も、平和と平等を求めています。

もし、力のある国が、どこか一つでも、貧しい国々のために立ち上がったならば、その国は世界中から称賛されるでしょう。

力があるのに、いつまでも立ち上がらない国は、世界中から軽蔑されます。

軽蔑は屈辱でしょうから、そういう国も渋々ながら、重い腰を上げることになるでしょう。

でも、どうせ腰を上げるのならば、一番先に自ら立ち上がる方が、かっこいいに決まっています。

その一番の役柄を、日本がするべきだと、私は強く思いますし、また願っています。

いつまでもアメリカの顔色を窺うのではなく、アメリカをも動かすほどの、リーダーシップを持つ国であって欲しいです。

また、そうなれるだけの資質が、日本にはあると思います。

政治家たちの中にも、有能な人はいるでしょう。

でも、一部の有力者の顔色を窺い、力を発揮できていないような気がします。

今の日本とアメリカの関係と、全く同じですね。

政治の世界が、世代交代を果たせたならば、コロナ騒ぎも落ち着くでしょうし、核兵器廃絶や本当の平和への先導役を、日本が果たせると思います。