願いが叶うとき

 ※(Joenomias) Menno de JongさんによるPixabayからの画像です。

自分一人の力で、何かを行える時、それを願いが叶ったとは言いません。

目玉焼きが食べたいと思い、自分で卵を焼いて、目玉焼きを作ったとしても、目玉焼きが食べたいという、願いが叶ったとは言わないでしょう。

何かを願うというのは、自分の力量を超えたところでの、望みや期待を持つということです。

目玉焼きが食べたいと思っても、家に卵がなく、卵を買うお金もなかったら、目玉焼きを作ることができません。

それでも、どうしても目玉焼きが食べたいと思った時、遊びに来た友だちが、差し入れだと言って、卵をくれたらどうでしょうか。

その卵で友だちが、目玉焼きを作ってくれれば、間違いなく願いが叶ったと言えるでしょう。

たとえ自分で目玉焼きを作ったとしても、やはり願いが叶ったと言っていいと思います。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像です。


願いが叶うとは、自分の力を超えた所で、自分の望みを叶えるような、思いがけない外部の動きが、あることを言うのです。

この目玉焼きの例では、自分の願いに、友だちの心が反応してくれた、ということです。

つまり、願いが叶う時には、誰かの心が反応を示し、願いが叶うように動いてくれるのです。

もちろん、動いてくれる人たちは、願いのことなど知りません。
何となく動いているだけです。

でも、それが結果的に、願いを叶えることに、つながっているのです。

人の心を無意識の領域で考えると、それぞれの人の無意識が、つながりを持っていると考えられます。

個人意識が、人類の意識の一部であるならば、人類の意識を通して、個人と個人の無意識が、つながりを持つのは、自然なことだと思います。

誰かの願いが、その人自身の無意識に届いた時、その願いは人類意識を介して、他の人たちの無意識へと、伝わるのです。

ただ、願いと言っても、表面的な願いと本音の願いでは、中身が異なる場合があります。

 ※jacqueline macouさんによるPixabayからの画像です。

宝くじを当てたい、と願ったとします。

その理由は、宝くじの賞金で、苦労した親に家を買ってあげたい、というものです。

結果として、宝くじが当たらなければ、願いは叶わなかったことになります。

しかし、借家ではあるけれど、便利で居心地のいい家が見つかり、親もその家をとても気に入ったとすれば、願いは叶ったと言えるでしょう。

この場合、本音の願いは、親にとって居心地のいい住処を、見つけたいということです。

そして、その願いを叶えるために、家を提供する人や、それを伝える人などが、自分では意図しないまま、動いたというわけです。

 ※◯○.hiromaru.○◯さんによる写真ACからの画像です。

願いが叶う場合、恐らく、その願いの規模に応じただけの、複数の人々の無意識が、関わっていると考えられます。

しかし、願いはしたけれど、やっぱり願いが叶うはずがないな、と考えていると、それは願いが外れた状況を、望んでいるのと同じになります。

それが本音として無意識に伝わると、願いが叶わないようにせよと、他の無意識たちに伝わります。

それで、誰も願いを叶えるための、動きを見せず、願いは叶わないこととなるのです。

また、自分が無意識とのつながりを否定していたり、他の人々との間に壁を作って、つながりを拒絶していると、やはり、その願いが叶うことはないでしょう。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像 です。

願いが叶うというのは、少なくとも自分自身の無意識と、つながっている必要があると思います。

つまり、無意識の声に耳を傾け、自分の本音を知るということです。

こういう人の願いは、自分の本音とつながっています。

それは無意識の指示に従っているのと、同じ事です。
通常の意識の願いと、無意識の本音が一致しているのです。

通常の意識の願いと、無意識の本音が一致していないと、願いは無意識に伝わらないかもしれません。

無意識を通して、願いを叶えるために、他の人たちの協力を得るには、無意識の本音と願いの方向が、同じであることが、重要だと思われます。

両者が一致すると、無意識は願いを実現するため、他の人たちの無意識に、情報を伝達します。

そして、思いがけない形で、願いが叶うという仕組みなのだと、私は考えています。

 ※Gerd AltmannさんによるPixabayからの画像 です。

ただ、他の人を拒絶する習慣があると、せっかく自分の願いに従って、動いてくれる人がいても、その人たちを無視したり、拒絶するかもしれません。

そうなると、本来なら叶っているはずの願いを、自ら捨ててしまうことになるでしょう。

逆に考えれば、他の人たちのことも認め、その存在を受け入れるという姿勢が、願いを叶えるためには大切なのです。

繰り返しますと、まずは自分の心の声を聴き、自分の本音を知るということ。

それから、他の人たちとの間に、壁を作ったりしないで、その人たちの存在を受け入れ、感謝や思いやりの気持ちを、持つということです。

体で言えば、ある部分が痒みの信号を、発したとしましょう。

その信号は、全身に広がる神経ネットワークを通じ、痒みを解消してくれる部分の、動きを促します。

つまり、突然手が現れて、その部分の痒みを解消してくれるのです。

 ※hana73さんによる写真ACからの画像です。

それと同じで、私たちの意識は、人類の意識という、巨大な一つの意識を形成しています。

一人一人の無意識が、大きなネットワークを構築しているのです。

そのネットワークを通じて、個人意識の望みは、全体の意識へ伝わり、その望みに必要な者たちが、望みを叶える行動を取るのです。

痒い部分を掻く手は、自分の動きの意味は、わかりません。
そうしたくなったから、その部分を掻いただけなのです。

それと同じように、願いを叶えてくれた人たちは、個人的には自分の行動の意味を、理解していません。

無意識レベルでは理解しているでしょうが、通常の意識では、わからないのです。

そんな感じで、願いというものは、叶えられるのだと思います。

そのためには、自分を大切にし、他の人のことも大事に思うことが、必要なのです。

一番いいのは、全ての人が、本当は一つの存在なのだと、心から理解することでしょう。

自分たちは一つだと理解するほど、願い全体の無意識に伝わりやすくなり、叶えられる可能性が、高くなるに違いありません。