どう受け止めるか 2

 ※DivvyPixelさんによるPixabayからの画像です。

自分に憎んでいる相手が、いるとしましょう。
どうしても、その相手の事を許せないとします。

でも、相手に対する見方は、必ず変わります。

時間がかかるかも知れませんが、いつかは相手を許せる時が来るのです。

誰かを憎み続けるのは、疲れます。

それに、憎んでいる間は、楽しみを放棄しているわけで、損な事です。

しかし、憎い気持ちを無理に消す事は、むずかしいでしょう。

そういう時は、憎い気持ちは無理に抑えず、脇に置いておきましょう。

そして、他の事に意識を向けるのです。

なかなか向かないかも知れませんが、とにかく他の方を見続けるのです。

そのうち、憎しみの気持ちは、少しずつ鎮まって来ます。

そうなると、少し物事を冷静に考える事が、できるようになります。

冷静になれば、楽しい事に目を向けやすくなって来ます。

楽しい事を続けられるようになれば、憎しみはますます薄れて来ます。

そのうち憎んでいた相手の事など、どうでもよくなってしまいます。

憎んでいる状態と、楽しんでいる状態を、比較する事ができるようになるからです。

心は安定を求めます。
何かを楽しんでいる時は、心が安定していて楽なのです。

怒ったり悲しんだりしている時は、心が不安定な状態ですから、疲れるのです。

本音では、そんな状態を続けたくはないでしょう。

楽しみを取るか、怒りを取るか。

その選択によって、憎んでいた相手への、見方が変わります。

相手の事など、どうでもよくなって、楽しさを選ぶ事もあるでしょう。

逆に、楽しさを選ぶ事によって、相手の事を、どうでもいいと思うようにもなるのです。

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ひどい相手への憎しみを忘れるなんて、したくないと言うのであれば、それは自由です。

でも、それは憎しみを忘れる事が、人間として許せない事だという、思い込みでしょう。

どこにも、そんなルールはありません。

そんな風に考えてしまうのは、人生は一回こっきりで、死んだら全てがおしまいだという、発想があるのだと思います。

でも、死んでも全てが、おしまいになるわけでないと、知ったらどうでしょうか。

幽霊や前世の記憶などの事実は、人が生前や死後にも、存在し続けている事を示しています。

生前や死後の世界が、どのようなものなのかは述べません。

しかし、人の存在が一つの人生に、限定されているわけではないと、言う事はできると思います。

人は死んでおしまい、というわけではありません。

ですから、この世に生まれ出るという事には、何らかの意味があるのに、違いありません。

知性体である人間が、知性を発達させる事は、人として自然な成長です。

だとすれば、人生における嫌な事も、何か意味があるのではないでしょうか。

その意味を知るには、出来事を表面的に見るのではなく、いろんな角度で見る必要があります。

今の角度で見ると、ただ憎しみが湧くだけの出来事でも、別の角度から見れば、相手への理解が生まれるかも知れません。

それは元の角度における、憎しみという見解を、否定するものではありません。

自分の立ち位置が違うから、眺める出来事が、異なったように見えるだけです。

いろんな角度から見た情報は、総合的な理解をもたらすでしょう。

それは単なる憎しみとはなりません。

相手を憎らしく思う気持ちは持ちながら、出来事そのものを、違う思いで受け止めるようになるのです。

物事に対する立ち位置を変える事で、受け止め方が変わるのです。

それは人としての成長です。

しかし、立ち位置を変えられるようになる前に、運悪く世を去る人もいます。

そんな方たちは、この世を離れてから、自分の人生を振り返り、何て無駄な時間を、過ごしてしまったのかと、後悔するかも知れません。

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繰り返しますが、物事をどのように受け止めるかは、自由なのです。

その代わり、その受け止め方によって、人生の質が決まります。

豊かな人生を送るためには、多くの英知を手にする必要があります。

今の自分がつまらない。
人生なんて、ちっとも面白くない。

そう感じてしまうなら、人生とは何なのかと、深く考えてみて下さい。

そうすれば、少しずつ人生は、それまでとは違ったものに、変わって行くと思います。